2009年9月23日水曜日

路上を奪還せよ!


路上で横たわる人々を横目で見やり、「ああはなりたくない」と口にする人は多い。好き好んで貧困の淵に落ちたいと思う者はいない。社会は、苦しい生活を送る人々を今すぐにでも救済する必要がある。だが、自分は「ああなったら終わりだ」とまでは思っていない。

90年代後半。自分の取材人生は新宿駅西口の地下通路で、仲間たちとコミュニティを築きあげていく野宿労働者たちと共にあった(写真は当時の遠藤)。捨てられた段ボール箱で家を作るだけではない。雑誌や電化製品など、拾ったものをフリマで売って小銭を稼ぐ、空き缶で作った三味線(さんしん)を弾きながら、仲間と楽しく一杯やる…
路上に作られたコミュニティは貧しかったけれども、人間の叡智と共感が作る心温まる空間でもあった。自分だけでなく、多くのジャーナリストたちが取材のために足を運び和む時間を、密やかな楽しみにしていたはずである。

同じ頃、東京のあちこちの駅前にぽつりぽつりとストリートミュージシャンが登場し始めた。曲や歌声が気に入ると足を止め、CDを買ったり、話し込んで友達になったりした。既成の音楽では得られない楽しみがそこにあった。 路上は掃き溜めではない。豊かで、可能性に満ちた文化の発信地である。 「故郷」のない自分は、これらに触れる喜びを「東京で生まれ育った特権」のように感じていた。ドブネズミのような自分にとって、路上とは大切な居場所の一つなのである。

しかし、路上の文化は常に排除の対象になってきた。 ホームレスに対する強制撤去だけではない。昨今、「近隣住民の声」をタテに、炊き出しや路上での演奏や公園の使用に対し、行政が管理を強め、規制するケースが目立っている。 「公共の場所」を「皆ががまんするべき場所だ」と考える人たちと、「皆が自由に楽しめる場所だ」と考える人たちの間に、どうやら対立の構図が生まれているらしい。

もちろん自分は後者の立場だ。
「路上を奪還せよ!」―遠藤大輔とVJUは、この秋、新しい闘いを始めることを決めた。

"DROPOUT TV ON LINE"(ドロップアウトティービー・オンライン)

かつて「新宿路上TV」を作ったグループの名前を冠して、新たにスタートする動画配信。現在その取材を進めつつ、仲間を募って準備中。すでに行く先々で同じ考えの人たちに出会い、共感の輪が広がりつつある。血沸き肉踊る新プロジェクト。その詳細については、後日また報告したい。

2009年7月12日日曜日

響け、槌音


VJU企業組合準備会主催「第2回 VJが訊く!」の帰り道、タクシーに乗ったら、自分の大好きなBilly Joelの「My Life」がかかっていた。 「ラジオ、大きくしてください。これって、中学のとき初めて覚えた英語の歌なんですよ」と運転手さんにお願いしたら、運転手さんは吉田拓郎世代だという。「政治家なんかより、アーティストが勇気くれる。そんなときありますよね」みたいな話から、なぜか一気に貧困問題の話に

不動産会社をリストラされてタクシー業界に入ったという運転手さん。タクシー業界も大変なので、高校2年生になる彼の息子は進学ではなくて、調理師を目指し飲食店でバイトをしているという。が、修行と称して<時給に換算すると300円>なのだそうだ。早朝から深夜まで働くので、息子さんは家賃5万のアパートで自活。洗濯する暇がないので、お父さんが彼の衣類をタクシーのトランクに入れて運び、お母さんが洗濯する。そんな暮らしが続いているという。涙ぐましい支え合いだ。

「実は、派遣村の湯浅さんを呼んで、そういう話を皆でしてきたところなんです」と言うと、運転手さんは大喜び。「お客さん(エンドーのこと)くらいの世代の人が、ぜひがんばって運動を起こしてほしい。皆で国会包囲くらいやってくださいよ。陰ながら応援します」と熱いエールを送ってくれた。

と書くと、「なんで運転手さんは自分で運動しないの?」と思うかもしれない。でも違う。「運動しない」んじゃなくて、「できない」のだ。タクシー運転手の世界にも組合はある。あるけれども、売り上げが厳しいなか、組合活動をするヒマさえないというのが実情なのだ。もはや声を上げる力も奪われた労働者たち。声なき声を如何に拾い上げていくか。これからジャーナリズムはどこまでそれを追究できるのかジャーナリストといえども、ちっぽけな個人であることは変わらない。必ずしもやり抜けるという自信はない。

でも、「まだ終わりじゃない」―それを確信した夜でもある。

ホームレスや派遣労働者だけの問題じゃない。貧困問題はすでに皆の大問題で、皆で解決すべき問題だということを伝えたくて思いついた企画。そこに学生から、派遣労働者の方、アルバイトの方、大企業の正社員の方、そして誠意ある研究者の方々も加わって、立場を超えて問題をシェアできたことが、何より嬉しい。今回は就活で悩む教え子にも映像に出演してもらったが…勇気を出して協力してくれたその気持ちに…教員としてとかじゃなくて、先輩としてちゃんと応えられるよう、がんばっていかなくちゃいけないと決意を新たにした。Mさん、ありがとね。

タクシーが自宅に着く直前、ラジオのBilly Joel特集は80年代の名曲「Allentown」を流してくれた。工場労働者の思いをつづった曲。その中に効果音のように入っている「ハンマーの槌音」を聞いていたら、胸がいっぱいになってきた。

万国の労働者よ団結せよ!心の中で叫んだ。
皆、あきらめないでがんばろう。

最後に、盟友・湯浅誠さん+稲葉剛さんはじめ「もやい」の方々、そしてみほこんさん…皆、やっぱりすごいね。これからもよろしく。

2009年7月7日火曜日

無関心も世を動かす


「カルチュラル・タイフーン2009」での「Dialogue in Palestine」上映は、まずまずの成功だった。「参加者1人」という回もあったそうだから、20人以上の参加は盛況と考えていいだろう。 感想文を読むかぎりでは、メディアアクティビストFさんとのトークもなかなか好評だったようだ。

立場は若干異なるが、Fさんとはセンスが似ている。メディアの構造を考えるのが好きで、それを如何に逆用するかという仕掛けを常に考えているという点で、お互いヒネクレものである。そん
な二人が今回テーマに据えたのは、一言で言えば、「無関心に対する表現の闘い」である。 情報過多の現在、パレスチナのように遠い世界の出来事に共感を求めるには、それなりの技がいる。とはいえ、やりすぎれば演出過剰になってしまうし、「衝撃映像」ばかりをかき集めるのも考えモノだ。豊かな表現は共感を呼ぶが、それは常にエンターテイメントに堕してしまう危険性も孕む。エンターテイメントはある意味で、恐怖を「平和な日常」に回収し、結果的に無関心を温存する装置である。

まあ、そんなことをあれこれ話していた二人だったが、実際フタを開いてみると、客層は若い学生が中心。パレスチナ問題じたいを知らない人が多かったようで、そこまでの議論にはついてきてくれなかったようである。ともあれ、パレスチナに対する無関心だけは打破できたようなので嬉しい。映像で社会を動かしたいと願うわれわれにとっては、それが第一の「仕事」だ。

しかし、無関心が社会を動かさないのかといえば、そうでもない。AIDS問題が世界中で話題になっていた90年代初頭、アーティストによる啓蒙ポスターの一つに「無関心は人を殺す」という文言があった。そう、無関心は意外と積極的なのだ。

その最たるものが、構造改革路線に対する無関心だろう。派遣村の取り組みを撮影しているとき、入村者の誰かが「小泉政権のときに自民党に投票したやつは、ここに入る資格なんてない」と言っているのを耳にした。確かに、新自由主義的な政策は、必ずしも一方的に押し付けられたとは言い難い。バブル経済崩壊後の閉塞的ムードの中で、むしろ歓迎された感さえある。労働、福祉、医療といったあらゆる社会保障的枠組みが目に見えるほどに破綻し、初めて問題の本質に気づいた国民。その政治への無関心こそが、現在の破滅的状況を生み出したといえる。

VJU企業組合準備会が主催する「VJが訊く」のシリーズは、まさにこの問題を軸として企画している。今週末に行う第2回は、派遣問題を主に、新卒学生の就職問題にも触れる。今回上映するオリジナル映像の取材では、ジャーナリストの斉藤貴男さんが「現在の状況は、(経済の破綻が問題なのではなくて)新自由主義がまさに目指したものだ」と語ってくれた。すなわち、派遣問題も学生の就職難も「意図された結果」だということだ。これに対して、どう闘っていくのか。外堀をすべて埋められる前に、われわれはこの件に関する無関心を打破する必要がある。

「VJが訊く!第2回 貧困と闘う ~敵はどこにいるのか~」は、7月11日(土)新宿ネイキッドロフトで、夜7時半からスタート。無関心の怖ろしさに気づいてるなら、ぜひ参加して、われわれとともに語り合ってほしい。まだ、終わりじゃないと思う。

2009年7月3日金曜日

臥薪嘗胆


「Dialogue in Palestineパイロット版」(2003)が東京ビデオフェスティバル2006で優秀作品賞を受賞したとき、授賞式での紹介の枕詞は「ジャーナリズムの栄光」 というものだった。しかし、この作品は自分にとっては生涯最大の「敗北」の象徴である。

「カメラは銃より強し」と思っていたあのころの自分は傲慢だったと思う。現実は甘くない。イスラエル兵に腕を捻り挙げられ、後ろ手に縛られて額に銃口を突きつけられてなすすべもなかった。奪われたカメラに収めた貴重なテープは戻ることがなく、彼らの暴力性を示す大切な「弾」をなくした。人々の日常に深く刻まれ続ける占領者の暴力。パレスチナ問題はあまりにも深刻で、訪れる者を絶望と虚無と深い無力感に陥れる。自分に何ができるのか、ただそれだけを問うた作品に自らの思いは昇華した。

この作品で描かれるのは2002年のパレスチナだ。特に侵攻が激しかったといわれる年。苦悩に満ちた日々は、自らの精神もむしばんだ。作品を仕上げたとき、すでに自分はぼろぼろになっていた。力尽きて上映会に遅刻し、多くの人に迷惑をかける結果を招いた。あらゆる意味で、敗北だった。

臥薪嘗胆の故事のとおり、この敗北はその後の自分を時に深い闇に突き落とし、あるいは逆に奮い立たせた。タイトルにあるように、この作品は未完成(ストーリー的には完結している)のまま、常に自らに問いかけ続ける。お前の闘いとは何か、何のために闘うのか、と。

パレスチナ。懐かしくて、楽しくて、つらくて、哀しくて、それでも美しいところ。

VJU企業組合準備会は、今夜から東京外大で開催される「カルチュラル・タイフーン2009」に参加する。7月5日午後15:40からは「Dialogue in Palestine」の上映だ。トークセッションの相方を務めてくれるのはメディアアクティビストのFさんだ。ガザ空爆の続いた昨年末、彼がYOU TUBEにアップした映像には、現地のパレスチナ人から、イスラエル大使館前で抗議する日本人への感謝のコメントがついた。

一方現地では、イラク戦争以降日本の軍事行動に対する批判が聞かれるようになっている、と多くのジャーナリストが言う。2004年の取材では、自分もそうした声を聞いた。

国際社会は鏡である。

道を誤らないように、裸の王様にならないように・・・

映像表現がその道標になるように、自分は今日も薪に座り、胆を嘗める。

2009年6月15日月曜日

「はっ」とする瞬間


ドキュメンタリーを作るというと、何か「現実をただ撮っている」と思われがちだが、ホンキでやるのはそう簡単ではない。一通りこなせるようになるには何年もかかる。(前回書いたとおり)理論ももちろん重要だが、学び方・教え方というのはまた、違う一つのテーマである。

この度、ミニ・ワークショップを前面に立てた、2回目のVJU企業組合説明会を無事開催。「客足」はイマイチだったけど、参加者の方には楽しんでいただけたようで、まあ一安心。初対面でも、何か「はっ」と驚くものを提供するのが、自分のモットーである。「サービス精神が旺盛」と言われることもあるが…たぶん教えるのが好きなんだろうと思う。

とはいえ、一方的に講義するのはあまり好きではない。どうも自分の声質は眠りを誘うらしく、一方的だとたいてい生徒が眠ってしまうからである。そんなわけで、大学の授業も基本的には「対話」で行う。授業の間、1本のワイヤレスマイクが教室を一周する、というのがいつものパターン。
最初は学生たちもビビってしまって、あまり発言をしないのだが、1ヶ月もすると慣れてくる。誰かが眠っているようだと、これはアラームだ。とりあえずその子を起こしてから、やおら刺激になるような演習を始める。

そんな方法で何年も授業をやってきたので、かなりパフォーマンスが得意になった。もちろん「体験させて驚かせる」のが目的だから、なかなか準備も大変である。ネットカラオケを利用してマルチカメラ撮影をやったり、突然思いついてグループで撮影の練習をさせたりするので、大学では機材管理のスタッフたちにいつもエライ思いをさせている。

企業組合のほうでは、「小道具や衣装を用意して誰かに演技をさせる」というのが定番になりつつある。去年の夏は手品、前回の説明会は医師と看護師、今回は塗装職人ということで、何かコスプレ集団のようだが、いつも大マジ。いかに笑いをとれるかも重要である。自分は指示するだけなので周囲にとっては大いに迷惑かもしれないが、まあ楽しいほうがいい。

すべては、未経験の人が映像を学んで「はっ」とする、その瞬間のためだ。

一つ一つは、あっという間の体験にすぎない。けれども、一つの発見が興味を呼び制作の動機につながっていくと考えれば、実は賞味期限は長い。積み重ねれば、磐石の基礎になる。企業組合の若者たちに教え始めたのは去年のことだが、一人一人が少しずつ成長しているのがわかるのも嬉しい。当初は彼ら自身が単なる初心者だったが、今ではしっかりと参加者をリードできるようになった。まさに「継続は力なり」である。


準備会を発足してもうすぐ1年。思い描いたようにはなかなか進まないことも多いが、地道に、着実に、一歩一歩進む毎日に未来を信じられるようになりつつある今日この頃だ。講師役の自分も含めて、「信じる」力を保ち続けられることもまた、仲間づくりの良さだなあと最近思う。

2009年6月4日木曜日

見えない世界の冒険


レストランに厨房が、病院にナースステーションがあるように、仕事の本質は必ずしも目につくところにはない。映像の仕事もまたしかり。クルーを伴わずに現場に赴くと「カメラマンさん」と呼ばれることがあるが、これはワープロを使う小説家を「タイピスト」と呼ぶようなものだ。

映像は視覚的にリアルなぶん、ややこしいのだが…視聴者が目にしたり耳にしたりする部分は、レストランで言えば目の前の料理にすぎず、それを作る方法論はホールからは見えない厨房に隠されている。

目で見るメディアの本質は、実は目に見えないところにある。

この逆説的な真実を視聴者が理解できない、というメディアリテラシーの課題はもちろん重要だ。しかし、もっと問題なのは、映像のプロでさえこれを主観的にしか捉えきれていない点にある。多くのプロは経験によって方法を学び、経験によってこれをブラッシュアップしていく。単に仕事を続けるうえでは、あまり困ることはない。

しかし、後継者を育てるという観点ではあまり効率的とはいえない。あるプロダクションでは、AD10人を雇ったとして、ディレクターに育つのはせいぜい1人か2人だという。労働条件や、個々の資質や、さまざまな要因が考えられるが、経験則を経験によって伝えるという教育方法も壁の一つだと自分は思う。業界では「習うのではなくて、盗め」とよく言われる。一見、気の利いた助言のように思えるけれども、実は「教える方法を知らない」言い訳なのではないだろうか。

撮影や編集など、技術的な方法(ハード)をいくら学んだところで作品は作れない。メッセージを形にしていくのは、むしろ目には見えないさまざまな制作的方法(ソフト)だ。一般的な言葉で言えば、<情報の整理術>や<コミュニケーションのコツ>あるいは<プレゼンテーション能力>というような能力の集積なのだ。その一番大切な部分が、主観的な経験によってしか語られない。あるいは個々の人格の問題に帰される。それでは後継者が育たないのは当然だろうと思う。

さらに問題なのは、制作者が表現に無自覚であることは、意図せずに表現上の報道被害を生んでしまうことだ。取材された側が「差別的」だと感じたり、現場の実感が伝わらないような報道は、悪意によって生まれるのではなく、制作者の無自覚から生まれる。

ともあれ、自分は映像制作そのものと並行して、長年経験談としてしか語られてこなかった映像制作の本質的な方法論を改めて言語化し、マスメディアの表現上の問題を位置づけ直し、普遍的な理解を通じて後発を育成することを目指してきた。関連書籍の読書会から始めて、なんとか体系化の途についたのが10年前。大学での授業や合資会社VJUにおけるワークショップでの経験を互いにフィードバックさせ、去年あたりにようやく持論の全貌が見えてきた。

「統合理論」と呼ぶオリジナルの体系。これは、個人制作時代の新しい映像理解の道筋であり、同時にマスメディアにおける表現の問題を批判的に乗り越えるための理論だ。簡単に言えば、映像制作の世界に今まで存在しなかった、<学問的根拠に基づいた>映像分析と制作の方法を示す「地図」である。

といっても、マスコミ論メディア論は主にメディア装置とその影響を対象に研究する分野、ジャーナリズム論は活字メディアの研究がベースの理念、といったように、従来のアプローチでこれを構築するのは無理だった。映像表現のあり方を研究をするのに最も適したツールとして自分が目を付けたのは、記号論物語論といったジャンルだ。アカデミズムでは構造主義批判とともにすでに打ち捨てられた感があるようだが、映像作家としての経験に真摯に照らし、最も有効だと感じて理論の主軸とした。

そんなわけで、合資会社の頃からVJUは(理論は未完成ではあったものの)「神話」だの「脱構築」だの特有の概念が飛び交う実に不思議な職場になった。それは単なる言葉遊びではない。自らの作品の方向性についてきちんと自覚し、互いに議論を共有できた若きVJたちの作品は、局はもとより、他ならぬ取材相手の人々にもおしなべて評判が良かったのである。内容に抗議を受けたことは一度もなく、放送後、感謝の手紙やFAXが送られてくるのは日常的だった。これらは必ずしもすべてが理論の成果とは断定できない。だが少なくとも、まったくの素人がわずか1~2年の訓練でそこまで達成できるということじたい、長い下積み修行が一般的な映像業界では珍しい。

と書くと、いかにも自分が明晰な分析力と自覚を持って皆を引っ張ってきたかのようだが、必ずしもそうではない。自分自身で自らの方法論を対象化するのは、「目に見えない」だけにやはり難しく、その後も試行錯誤は続いた。

さらに、映像制作におけるいくつかの側面については記号論的には説明ができないため、最近ではまったく別分野の学問の力を借りることも増えている。


例えば、映像の入り口にあたる「視覚認識のメカニズム」だ。「少しずつ異なる静止画を連続して見せると動いて見える」という動画に対する基本的な視覚的反応について、どう解釈すべきなのか。従来は視神経の生理的反応「残像効果」によって起きると考えられていたが、現在では「欠落する情報を脳が補うからだ」と言われている。これは大脳生理学の研究成果である。

少し次元は異なるが、「脳」は撮影の技法においても無視できない領域だ。メッセージの内容については文化研究の延長で語ることができるが、撮影とは身体の動きを伴う技術なので、「こうあるべき」という判断力だけでは習得が難しい。その訓練に際し「ワーキングメモリ(作業内記憶)」や「チャンク化」といった認知心理学概念を用いると有効であることが、最近わかってきた。

一方、インタビューの方法論については、ラポールライフヒストリー法など社会調査法の概念や方法論を参考にしている。こちらのほうは、「フィールドワーク」という共通のツールを地盤とするために、異業種のわれわれにも理解しやすく、適用しやすい。

というわけで、この理論はさまざまな学問分野を横断するような、悪く言えば今やツギハギ的な様相を呈している。が、映像表現の研究の中に、異なるさまざまな分野との結節点を見出せるという点は、なかなかエキサイティングなことである。アカデミシャンでない自分にとって、分野を飛び越えることには、何の躊躇もない。学者の皆さんにはもうしわけないが、実践者として「役に立つ」と思われる理論・概念だけをこれからも利用させてもらうだろう。

面白いのは、新たな発想のもとでワークショップや授業を行うと、必ずまた新しい発見があることだ。後輩や学生たちの新鮮な驚き、突拍子もない質問、想像もできない失敗…そのなかに、また新しい訓練の方法や、もっと気の利いた説明の方法が見えてくる。映像の話なのに、心理学や脳、はたまたスポーツや音楽の話にまで展開するハチャメチャな「冒険」を、彼らも一緒に楽しんでくれている感じだ。今までに教えた相手もかなり幅広い。神戸の小学生、パレスチナの高校生、ドイツや中国からの留学生もいた。不思議なことに、年齢や国籍による反応の差はあまり感じられない。

だから、統合理論とこれをベースにしたワークショップの方法論は、いわば彼らとの合作だ。「教える」という場でたくさんの出会いと別れがあったけれども、関わった全員に感謝したい、とつくづく思う。当初は難しい理論をそのままぶつけてずいぶん「お客さん」を困惑させたが、訓練の方法がこなれるとともに、「わかりやすい、面白いと友達に聞いて」授業を受けてくれる学生が増えたのも嬉しい。「この理論をぜひ教科書に」という声も高まっている。

6月13日(土)、VJU企業組合準備会の主催でその一部を披露する。今回のカリキュラムは企業組合のメンバー自身が考えてくれた。彼らは、ほぼ一年かけて統合理論を学んできた。独自のワークショップを通じて、冒険の輪がまた広がる。探求してきたことがだんだん皆の理論になっていく。そこから始まる映像作りのさまざまな可能性に、今、大きな期待を抱いている。

2009年5月22日金曜日

プロフェッショナルたち


肝炎問題の取材で、北海道へ一泊二日のロケ。悪天候には祟られたものの、B型肝炎の患者さんと肝臓専門医の方の貴重なお話を聞くことができた。薬害C型肝炎訴訟は去年ついに和解を勝ち取ったが、輸血などの他の感染ルートを含めると、全国に350万人の肝炎患者・感染者が救済を待っている。ほとんどの人々は自己責任で感染したわけではない。ウイルス性肝炎とは、一言で言えば「医原病」(医療行為が原因でかかる病気)であり、患者・感染者は純然たる被害者だ。薬害C型訴訟の和解、B型の最高裁勝利判決を足がかりに、彼らは今一丸となって肝炎救済法の制定を呼びかけている。

自分は2年前、薬害C型肝炎の運動展開用のオリジナルドキュメンタリー「夢をかえして」を担当したが、今回はより広い視点での「第2弾」の制作に携わっている。

継続的に関わる中、C型原告団の山口美智子さんや、福田衣里子さんの頑張りには、いつも圧倒されているが、同時にこれらの運動を支える人たちの力にもつくづく頭が下がる。病気というのは思想信条に関わらず罹るものなので、こうした運動を支えているのは、必ずしも党派性のある団体ではない。心ある弁護士や、医師、ジャーナリストといったプロフェッショナルたち、そして無名の市民たちの力だ。

薬害C型肝炎の運動を支えてきた鈴木利廣弁護士は、かつてHIV訴訟を勝利に導いた、弁護士としてはプロ中のプロ。ズバリ、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介されている。弁護士の仕事のみならず、政治家やマスコミとの交渉にも長けており、明晰な判断力にはいつも舌を巻いてしまう。

B型の場合は、集団予防接種における注射の回し打ちが主たる感染源だ。それをつきとめたのは、北海道の美馬聡昭医師感染者の年齢推移と、ツベルクリンなどの集団予防接種で注射器が使いまわされていた時期が一致することを突き止め、B型肝炎訴訟提訴の足がかりを作った。

一般社会においてはもちろんのこと、当の感染者・患者自身でさえまったく知らなかった真相を明らかにしていったという点では、ジャーナリストたちの力も大きい。フジテレビNEWS JAPANはこのジャンルの報道について先頭を切っていたが、ひとえにチーフディレクター岩澤倫彦氏の執念によるところだ。「薬害肝炎 誰がC型肝炎を『国民病』にしたか」を著した大西史恵さんは、自分が出会った当時は「週間金曜日」の編集者だったが、仕事の枠を超えて法廷にも集会にも足しげく通っていた。2006年に初めて関わりを持った「新参者」の自分にとって、「先輩」である彼らの視点が大きな拠り所となったことは言うまでもない。

こうした人々との出会いで感じることは、何よりもまず「プロフェッショナルであること」の重要性だ。思想信条や政治性ではなくて、個々人が個々人の責任において自らの職業に忠実であること。人権に関わる仕事は、それを突き詰めることによって社会に新しい切り口をもたらしていくのだ。

誰も、一人で社会を動かしていくことはできない。だが、各々が職業的な「役割」にとどまらず、自らの心の声に従うことで、大きな潮流が生まれる。自分もまた、そうした一人でありたいと願う。

2009年5月16日土曜日

成し遂げ続けるということ


自分は理想家であるとともに、かなりの現実主義者だ。夢は実現させるものだと思っている。もともとは存在しなかった職業を形にした一人だから、この点は胸を張って語る資格があるだろう。とはいえ、夢を形にし続けることは、実現させることより実は難しい。

丸山真男という思想史家が書いた「であることと、すること」(岩波新書「日本の思想」所収)という文章を初めて読んだのは、高校生のときだった。「日本人は職業でも地位でも『○○である』ということにこだわるけれども、本当は『○○し続けること』が大事だ」というような指摘から、民主主義の発想を説く文章だ。「権利の上にねむる」日本人の精神的伝統を鋭く突いた名文だと言われている。
ここで語られる職業的アイデンティティの話題は本筋からすると比喩にすぎないのだが、成し遂げ続けることは確かに大変だと最近改めて思う。

そもそも、VJ(ビデオジャーナリスト)という職業を切り拓けたのは、必ずしも自分の努力や試行錯誤だけではない。時代の流れと合致しなければ実現しなかっただろう。そして、時代は常に流れ行くのだ。

合資会社VJUの組織的活動を休止してフリーになった理由は明快で、要は「社長業が楽しくなかった」からだが、再び組織作りに手を伸ばした今、われわれを取り巻く条件はかつてとは違う。人材を育てた経験も、仕事を開拓した実績も、同じ結果を再び得る保証にはならない。

ただ、去年から始めたVJU企業組合準備会には、合資会社にはなかった有利な点が一つある。

それは、一人一人が資本を持っている点だ。このご時勢、もちろん資金という意味ではない。人脈、アイデア、さまざまな違う技術・・・組み合わさって、予想外の戦略が生まれてくる。これが、実に面白い。新しいつながりに、新しい仕事の形…それを実現する過程がまた、仲間の結束を固めていく。

どんなに経験を積んでいたとしても、今この時代を生きるという点では、若者たちと同じく、自分も初心者だ。だから彼らは弟子ではあるが、部下ではない。誰が代表なのかも決まってないので、外から見ると理解しがたい組織らしい。だが、今のところ、その曖昧模糊とした感じさえも、妙に心地よい。

固いものは折れるが、柔らかいものはしなる。そこに強さがある。どんなに激動の時代でも上手に揺らいで立ち続ける、そういうネットワークに育ってくれたらいいなと思う。揺らぎを逆手にとった五重塔の優れた技術もまた、日本の伝統である。

2009年5月14日木曜日

「VJが訊く!」スタート


5月6日、VJU企業組合準備会の主催で、映像&トークイベント「VJが訊く!」が、いよいよスタートした。取材相手や取引先と会うのに忙しくて、必ずしも交友が広いとはいえない自分にとって、イベントというのはありがたい。今回は「フリーランサーの労働」をテーマにしたこともあって、畑違いの人々と問題を共有できたのが、何より嬉しかった。

われわれフリーランサーに対する世間の目は、実際かなり厳しい。「やっかみ半分、憧れ半分」といったところだろうか。「特殊な技能を持っている」と尊重された時代は遥か遠く、「好きなことをしているのだから、苦しい目にあって当然」というような差別的な対応はもはや日常である。正社員による非正規雇用労働者への差別とかなり近い。

だからといって、終身雇用労働者を敵視するつもりはない。社会にはいろいろな生き方があってよいし、お互いに必要としているから、お互いが生きている。その視点を忘れてはならない。彼らはそう思ってくれてはいないないようだが(笑)

イベントの打ち上げで若い仲間と話していて、「敵はどこにいるのか」という次回のタイトルを、シリーズ全体のタイトルにしてはどうか、という意見が出た。そう、立場の違う者同士のいがみ合いは、敵の思うつぼ。「新自由主義の破綻」という「第二の敗戦」時代に、われわれジャーナリストが行うべきことは、まず第一に敵を明らかにすることだ。

この事態はジャーナリズムに対しても変容を促す。高度成長の時代、テレビや新聞の対象は「平和で豊かな生活を営む、善意の一般市民」だった。しかし、そんなステレオタイプのマス(大衆)の存在は今や非常に疑わしい。ライフスタイルの多様化と格差の進行は、視聴者(読者)のニュースに対する当時者性を増すだろう。極端に言えば、「ホームレスがかわいそう」という見方をする視聴者(読者)より、「自分がホームレスになったら、どう生きるべきか」と考える視聴者(読者)が増えるということだ。

われわれは、メッセージのあり方自体を見直していかなければならない。新たな闘いの時が来た。