2009年7月3日金曜日

臥薪嘗胆


「Dialogue in Palestineパイロット版」(2003)が東京ビデオフェスティバル2006で優秀作品賞を受賞したとき、授賞式での紹介の枕詞は「ジャーナリズムの栄光」 というものだった。しかし、この作品は自分にとっては生涯最大の「敗北」の象徴である。

「カメラは銃より強し」と思っていたあのころの自分は傲慢だったと思う。現実は甘くない。イスラエル兵に腕を捻り挙げられ、後ろ手に縛られて額に銃口を突きつけられてなすすべもなかった。奪われたカメラに収めた貴重なテープは戻ることがなく、彼らの暴力性を示す大切な「弾」をなくした。人々の日常に深く刻まれ続ける占領者の暴力。パレスチナ問題はあまりにも深刻で、訪れる者を絶望と虚無と深い無力感に陥れる。自分に何ができるのか、ただそれだけを問うた作品に自らの思いは昇華した。

この作品で描かれるのは2002年のパレスチナだ。特に侵攻が激しかったといわれる年。苦悩に満ちた日々は、自らの精神もむしばんだ。作品を仕上げたとき、すでに自分はぼろぼろになっていた。力尽きて上映会に遅刻し、多くの人に迷惑をかける結果を招いた。あらゆる意味で、敗北だった。

臥薪嘗胆の故事のとおり、この敗北はその後の自分を時に深い闇に突き落とし、あるいは逆に奮い立たせた。タイトルにあるように、この作品は未完成(ストーリー的には完結している)のまま、常に自らに問いかけ続ける。お前の闘いとは何か、何のために闘うのか、と。

パレスチナ。懐かしくて、楽しくて、つらくて、哀しくて、それでも美しいところ。

VJU企業組合準備会は、今夜から東京外大で開催される「カルチュラル・タイフーン2009」に参加する。7月5日午後15:40からは「Dialogue in Palestine」の上映だ。トークセッションの相方を務めてくれるのはメディアアクティビストのFさんだ。ガザ空爆の続いた昨年末、彼がYOU TUBEにアップした映像には、現地のパレスチナ人から、イスラエル大使館前で抗議する日本人への感謝のコメントがついた。

一方現地では、イラク戦争以降日本の軍事行動に対する批判が聞かれるようになっている、と多くのジャーナリストが言う。2004年の取材では、自分もそうした声を聞いた。

国際社会は鏡である。

道を誤らないように、裸の王様にならないように・・・

映像表現がその道標になるように、自分は今日も薪に座り、胆を嘗める。

3 件のコメント:

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  2. ナカムラです。
    「未完成」とは自分に課した言葉だったんですね。
    それだけじゃなくて周りも含めた意味もあるとは思いますが。

    今夜は寝る前に少々自分に関わる出来事ですが、振り返ってみる時間をとってみようと思います。

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  3. 人格は記憶から作られます。楽しい記憶も、辛い思い出も何かに昇華すると思いたいものです。ただ、経験を積めば積むほど、乗り越えきれないものもまた増える…といった感じで。永遠に未完成なのかもしれません。だから進めないと思うときもあるし、だからこそ進むべきだと思うときもあるね。って、これでは本文の要約だな。

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