2011年8月17日水曜日

三陸の未来のために

 津波の被害で自治体機能が失われた大槌町から宮古市まで、このたび駆け足ながら取材した。ジャーナリストとしては「おっとり刀」もいいところだが、今年は映画製作と引越しで資金がないうえ、震災直前に膝も故障。むしろ現地に行けたのが不思議なくらいだ。

 ともあれ、災害の甚大さを半年遅れながらも実感することとなった。約600kmの三陸海岸のほとんどすべての入江に津波が侵入しただけではない。人智をはるかに越えた強大なパワーで、そこは更地と化していた。町長が亡くなった大槌町の町役場には今も花が手向けられ、その周辺には頑強な構造の建物がわずかに残る。地面のほとんどは失われた建家の基礎部分であり、そこが道路なのか住居跡なのか判別できないほどだ。まるで巨大な発掘現場か、建設前の分譲地のようだった。

リアス式海岸を襲う津波は湾奥が狭くなるごとに高さと速度を増す、という。それを証明するかのように、確かに被害の範囲は高いところで海抜15m以上に及ぶ。津波被害にあった地域のほとんどは、湾奥から深い谷に向かう小さな扇状地だ。リアス式海岸の生成過程の必然として、そこには必ず河口がある。津波はそこから登った。河川整備が行われる前はおそらく氾濫原であっただろう土地を海が満たした。そもそも河川の侵食と海水の侵入によってできた土地を津波が襲うのは、残念ながら避けられない自然現象だと改めて実感した。

 そこにどのように都市が作られてきたのか、詳しいことは知らない。だが、地盤もゆるく標高の低い扇状地にはもともとはあまり人が住んでいなかったのではないだろうか。被害に遭った建物は役所や警察署などの公共施設のほか、コンビニや大型パチンコ店、郊外型大型スーパー、そして新興住宅地など、比較的新しいものが多いと見受けられた。一方で、急峻な山が海まで張り出す地形では居住に適する場所がそもそも少ないこともまた事実であり、何かを建設しようとすれば、危険を知りつつも扇状地に建てるしかなかったのだろう。それが悲劇を招いたのだと思う。こんな悲劇を繰り返さないためにどんな方策が適切なのか。

 「スーパー堤防」の法案が復活したというが、本当にそれでよいのか。以前にも書いたが、高ささえ満たせば津波を防げるとは思えない。エネルギーとは質量×速度である。流量と速度を増し、複雑に反射する津波の水流に耐えられる工法が果たして存在するのか。今回見てきた地域では、突堤も堤防もいたるところで切れていた。高くしても倒れてしまえば終わりだ。そして、各々の入江に注ぐ河川はどのように管理するつもりなのだろうか。水門を作ればそこが堤防決壊の一番のポイントになってしまうし、かといって門を閉めれば今度は河川が氾濫する。提案者がその点をどのように考えているのかが疑問である。

 菅首相は「高台への移住」を提案しているようだが、山林を切り拓いて造成事業を行なった場合は、土壌の保水力が失われ、河川の流量が増えるはずだ。また、一時的かもしれないが、河川と湾内の富栄養化が進み、海洋汚染が起きる可能性もある。すなわち、三陸海岸の重要な生業である漁業への影響が懸念される。なかなか妙案が浮かばない。

 三陸の人々は豊かな海産物を得ることと引き換えに、津波の被害を甘受しなければならない運命なのだろうか。それではあまりにリスクが高すぎる。人と水が共生する方法がきっとあるはずだ・・・というところまで考えて思い出したのが、アジアでも有数の農作物産出国カンボジアの農村だ。雨季になると必ず川が氾濫し田畑も道路も水没するが、家が高床式なので人々はまったく気にしない。その間、移動はボートで行い、水が引いたあとの豊潤な土壌で稲を刈り取るのだ。ちなみに、バンコクのボートピープルの場合は家そのものが船である。

 水の流れを阻まなければ、水の被害を受けない。そんな街づくりの発想が必要なのではないか、とつらつら思っていたら、石巻市に「津波を前提とした博物館」が作られていた例を知った。大切な秘蔵品は2Fで無事だったというから、これはまさに高床式の発想である。

 また、堤防の代わりに海抜の高い人工地盤を作るというプランも提案されているようだ。おそらく堤防や山地の造成よりは、現実的ではないかと思う。ただし、単に高台を作るだけでは津波のエネルギーを逃がす場所がない。市街地は無事でも漁港の被害はさらに甚大になるはずだし、反射によって予測できない形で水が他の地に及ぶかもしれない。

 ・・・というような、思案のすえにたどり着いた自分なりの復興案は上記のアイデアを組み合わせた「高床式人工地盤」である。海上都市のように、無数の櫓(やぐら)の上に人工地盤を作り、河川の氾濫も津波のエネルギーも人工地盤下で吸収する。山の上から来る水も、海から来る水も、自由に出入りさせてしまえばいい。ある意味で、リアス式海岸のそもそものあり方を容認することによって、人的被害と環境破壊を最小限に食い止められる方法ではないだろうか。そして、これに近い工法を間組のサイトに発見。 遊水地の上に人工地盤を作る工法のようだ。ぜひ適用してほしい。

 もちろんこれらは所詮素人考えだが、三陸海岸から豊かな海の幸を得つつ、人々が変わらず安心して暮らせる未来のために、工学系の専門家の方々には、生活も自然も壊さない広い視野を持って知恵を絞っていただきたいと切に願う。

2011年7月12日火曜日

虚栄と隠蔽の街


 渋谷区役所駐車場の取材を始めて、1年半が過ぎようとしている。この間、渋谷の街に感じた印象を一言で言うと「虚栄と隠蔽」だ。繁栄する街の影で、野宿者は排除され、その存在も、場合によっては死さえも隠されている。民間企業が管理する施設の多い渋谷では、監視カメラや警備の目が厳しく、野宿者はただ佇むだけの場所も得ることができない。晴れた日は公園で、雨の日はガード下で、息をひそめるように暮らすしかないのだ。

 そんな渋谷の街中で、唯一、安心して雨風がしのげるのが渋谷区役所駐車場である。ナイキの資本で宮下公園が「レジャー施設」化された現在、わずかな駐車場の空間がますます重要になっている。業務時間外の夜から早朝の限られた時間ではあるが、多いときには50人ほどが野宿し、毎週金曜日には民間のボランティアによる炊き出しが行われてきた。区役所の足元で生活に困窮する人々がいるのに、渋谷区が彼らに積極的に関与したことはない。それどころか、去年の春にはシャッターを完全閉鎖して、野宿者を追い出しにかかった。そして今年は、6月24日・7月1日の二回にわたって支援者の炊き出しに中止を迫った。

 本来、野宿者を保護する立場にあるはずの自治体職員が「ここは管理区域だから」と平然と言う。区役所や公園など、公共の施設は本来市民のものであり、彼らは市民に雇われて生活している。にもかかわらず、庁舎の管理権限ををまるで自らの所有物のように振り回す態度は、私企業のそれに近い。企業の法人税で比較的財政の豊かな渋谷区は、区そのものが企業になってしまったかのようだ。

 この経緯はD-TV NEWS018で、赤裸々に報道した。取材時には、数名の警備員がまとわりつき、執拗に撮影を妨害したのでその様子もワンカット入れさせてもらった。彼らは駐車場の実態を表沙汰にしたくないようだ。「炊き出しを中止させた」などと知られれば、他の支援団体も黙ってはいないだろうし、かと言って、区役所の敷地から野宿者が延々と列を作るのを放置すれば、近隣の法人に顔が立たない。そんなところだろう。非人道的な行為を、人目につかないような方法で行う。これが、自治体の行うべきことか。間違いなく、ホームレス自立支援特措法違反である。

 7月8日、渋谷区の職員は三たび駐車場に降り、支援者に対し「中止勧告」を行なった。強制的な排除などはなかったものの、この日、駐車場の蛍光灯が完全に消された。支援者がその事情を問いただしたところ、「節電」だという。周囲は昼のように明るく、ネオンがまばゆい街の一角で、だ。蒸し暑く真っ暗な駐車場の中、120人以上の人々が、取材班のライトだけを頼りに食料を受けとり、麦茶を飲んだ。
     
 人々が金を落とすネオンの街を拡大し、野宿する人々は暗闇に追いやって、見てみぬふりをする。そして、いつかはなきものにしたい。それが渋谷区の目指す街づくりなのだと確信した。

D-TV NEWS 018 「炊き出し潰し!? 渋谷区役所駐車場」

2011年7月7日木曜日

YOU TUBE は原発推進派なのか

 


前回の投稿でも紹介した動画"NO NUKES PROJECTION"。リンク先=YOU TUBEをご覧になれば、一目瞭然。再生回数は800を超えている。この動画はアップロードしてから毎日100回程度再生され、一週間で700回再生まで至り、その後はヒットが減って、現在このような状態である。300回を越えた頃に、YOU TUBEから「収益受け取りをお申し込みください」とのメールが来たので申し込んだところ、下記のような返信が来た。

****You Tube からのメール引用****
 大変残念ですが、次のいずれかの理由により、この動画の収益受け取りを無効にいたしました
・すべての動画マテリアルおよび音楽を商用利用する権利があることを示す十分な資料が提示されなかった。
・You Tubeの広告主は、全年齢を対象としたコンテンツに広告を出したいと考えています。
****引用、終わり****

 素材を撮影した日は言うまでもなく6月11日。震災後、最大規模のアクションが日本中で起きた日。アーティストのパフォーマンスが始まったのは、午後7時。終了したのが9時。その後、飲みのお誘いを断って帰宅し、すぐに音楽製作に入った。短い時間に一から製作するのは難しいので、ループ音源で作曲できるACID MUSIC STUDIO というソフトを使った。もちろん、作曲した作品は自分の著作物であり、発表が禁じられているものではない。夜半過ぎだろうか、映像の編集を始めて翌午前5時に終了。さっそくアップロードした。すべて手作りだ。非常に苦労した。「権利がない」とは、言いがかりもいいところだ。
 You Tube の言う「商用利用する権利があることを示す十分な資料」とはなんだろうか。そのプロセスを示すビデオでも撮ればよいのだろうか。もちろん、そんな手続きは存在しない。とってつけたような理由で、ひどく不快だ。第三者の著作権が存在するかどうかは、彼らが調べるべきことのはず。パートナーシップによる広告収入に関する記事などでは、そう書かれていた。この件にはそぐわないが、法的な用語で言えば挙証責任は彼らにある。ちなみに「東京電力のマークに似た画像は転用ではなくてphotoshopで自ら作成したものだ」とか、書いておけばよかったのだろうか。どうも不審だ。
 本音は「全年齢を対象としたコンテンツ」のほうだと思うと、さらに不快だ。原発問題がどうして対象年齢を選ぶのだろう。福島では子どもが内部被曝した事実があるし、事故で置き去りにされた高齢者が亡くなった例もある。本音は「原発に反対する映像作品に広告を付けたくない」ということではないだろうか。反原発関係ではかなり多くの動画がアップロードされていて、いずれも再生回数がかなり多い。同じ経験をされた方、あるいは「自分は申し込んだけど、通ったよ」という方がいらっしゃいましたら、ぜひお伝えください。You Tube のスタンスが非常に気になる。
 いずれにせよ、客観的で共通の基準に従ってシステムが運用されなければ、動画共有の世界はパブリックからは遠のく。著作権侵害の映像がスクリーニングされれば、利用者も減る。そこにできあがるのは、地上波テレビとなんら変りのない、経済的利害に縛られた放送局である。

2011年7月6日水曜日

「想定」の誤り

ちょうど地震の数週間前に膝を痛めたこともあって、ジャーナリストでありながら、被災地や原発の取材は一切できていない。だから、何かを書くとすれば、すでに報道されている内容を前提に、評論家的な意見しか言えないということを、まずお断りしておきたい。

3・11東日本大震災のもたらした問題を大きく分けるとすると、一つは津波被害であり、もう一つはいうまでもなく福島原発である。両者はまったく異なる問題でありながら、共通項が一つだけある。

それは「想定」の誤りである。すなわち「津波がどの程度の被害をもたらすか」という想定と、「原発を臨界溶融に至らしめた場合の想定」だ。この二つは、日本人の過去の歴史に孕む問題をまさに象徴していると思うのだ。 「まさか日本でこんなことが!」というようなコメントをどこかで読んだが、まさに日本だから起きたのだと思う。

そもそも環太平洋火山列の上に立つ日本は、プレートの接する場所でもある。地震は日常的に起きるし、巨大地震もどこで起きるか予測不能である。われわれの生活はそういうリスクの上に成り立っているにも関わらず、災害に応じた宅地開発は行なってこなかった。

スーパー堤防をどれだけ高くするかは問題ではない。高水位には届いても、水のエネルギーを計算しなければ、倒れて終わりである。エネルギー=質量x速度である。伝統的に流量や水位を「想定」して計画を作りがちな工法は片手落ちである。

大切なのは、洪水であれ、津波であれ、氾濫の恐れのある場所には宅地造成を行わないことである。

自然の猛威に如何にして耐えるか。確かに日本の建物の耐震構造は優れていた。しかし、地盤や周囲の環境にはまったく憂慮せず、ただ空いているからという理由で宅地造成を行なってきた経済の論理は、最終的に今回のような甚大な被害を招いた一因であろう。

政府は今後、被害の実態を詳細に調べ、広範囲にわたって宅地制限や都市計画の見直しを行なっていくべきだと思う。そのさいの基準は建築物の耐震強度だけではなく、被害の及ぶであろう範囲の「想定」に求めるべきだ。 もちろんこれは、家屋や財産、家族を失った方々の意思を尊重した上での話だが。

原発のほうは、いわずもがなである。津波が想定内か想定外かが
問題なのではなく、メルトダウンを「想定」していなかったことが一番の問題だ。その影で、事故後の危機管理、汚染物質の処理といった、国民の側からすれば最も重要な観点が抜け落ちていたのだから、これはもう未曾有の業務上過失致傷・(いずれは)致死に等しい罪と考える。最悪の事態が「想定」できていないこと自体が、罪なのだ。

民営であるならばなおのこと責任は免れまい。JR福知山線の事故しかり、さまざまな航空事故しかり、「故意ではない」「事故だから」と同情する向きには、まったく共感ができない。にもかかわらず、擁護論が後を耐えないのは、東京電力が一定の地域において、発電も送電も独占の企業であり、そこに公共性が喚起されてしまうからである。だったらこのさい、発電を自由化し、送電を国有化してしまえばよい。

ということで、一部の市民たちは東京電力の送電を国有化し、自然エネルギーも含めた原子力以外の電力を利用すべし!と声を上げ始めた。これはいい。さっそく署名した。締切まであと2日なので、賛同する人は是非署名をしてほしい。ネット上から簡単にできる。なお、原発の是非についてはNHKがアンケートを行っているので、これもまた意見を反映させるよいチャンスといえる。

最後に、最近の反原発アクションの様子をまとめた動画を以下に。アーティストたちのユニークな表現はもちろん、警察官との珍問答がとにかくウケて、YouTube上ではすでに800回再生された。反対の声を上げようにも、権力は犯罪企業・東電の肩を持つわけだから始末が悪い。反原発デモへの市民の参加が増えるにしたがって、不当な職務質問も今後増加するだろうと見込まれる。ちなみに警察もまた、「過激派集団」とか「狂信的宗教団体」といった凝り固まった「想定」の上でしか、市民を見ようとしない。「想定」をめぐる問題は山積みである。