2009年7月12日日曜日

響け、槌音


VJU企業組合準備会主催「第2回 VJが訊く!」の帰り道、タクシーに乗ったら、自分の大好きなBilly Joelの「My Life」がかかっていた。 「ラジオ、大きくしてください。これって、中学のとき初めて覚えた英語の歌なんですよ」と運転手さんにお願いしたら、運転手さんは吉田拓郎世代だという。「政治家なんかより、アーティストが勇気くれる。そんなときありますよね」みたいな話から、なぜか一気に貧困問題の話に

不動産会社をリストラされてタクシー業界に入ったという運転手さん。タクシー業界も大変なので、高校2年生になる彼の息子は進学ではなくて、調理師を目指し飲食店でバイトをしているという。が、修行と称して<時給に換算すると300円>なのだそうだ。早朝から深夜まで働くので、息子さんは家賃5万のアパートで自活。洗濯する暇がないので、お父さんが彼の衣類をタクシーのトランクに入れて運び、お母さんが洗濯する。そんな暮らしが続いているという。涙ぐましい支え合いだ。

「実は、派遣村の湯浅さんを呼んで、そういう話を皆でしてきたところなんです」と言うと、運転手さんは大喜び。「お客さん(エンドーのこと)くらいの世代の人が、ぜひがんばって運動を起こしてほしい。皆で国会包囲くらいやってくださいよ。陰ながら応援します」と熱いエールを送ってくれた。

と書くと、「なんで運転手さんは自分で運動しないの?」と思うかもしれない。でも違う。「運動しない」んじゃなくて、「できない」のだ。タクシー運転手の世界にも組合はある。あるけれども、売り上げが厳しいなか、組合活動をするヒマさえないというのが実情なのだ。もはや声を上げる力も奪われた労働者たち。声なき声を如何に拾い上げていくか。これからジャーナリズムはどこまでそれを追究できるのかジャーナリストといえども、ちっぽけな個人であることは変わらない。必ずしもやり抜けるという自信はない。

でも、「まだ終わりじゃない」―それを確信した夜でもある。

ホームレスや派遣労働者だけの問題じゃない。貧困問題はすでに皆の大問題で、皆で解決すべき問題だということを伝えたくて思いついた企画。そこに学生から、派遣労働者の方、アルバイトの方、大企業の正社員の方、そして誠意ある研究者の方々も加わって、立場を超えて問題をシェアできたことが、何より嬉しい。今回は就活で悩む教え子にも映像に出演してもらったが…勇気を出して協力してくれたその気持ちに…教員としてとかじゃなくて、先輩としてちゃんと応えられるよう、がんばっていかなくちゃいけないと決意を新たにした。Mさん、ありがとね。

タクシーが自宅に着く直前、ラジオのBilly Joel特集は80年代の名曲「Allentown」を流してくれた。工場労働者の思いをつづった曲。その中に効果音のように入っている「ハンマーの槌音」を聞いていたら、胸がいっぱいになってきた。

万国の労働者よ団結せよ!心の中で叫んだ。
皆、あきらめないでがんばろう。

最後に、盟友・湯浅誠さん+稲葉剛さんはじめ「もやい」の方々、そしてみほこんさん…皆、やっぱりすごいね。これからもよろしく。

2009年7月7日火曜日

無関心も世を動かす


「カルチュラル・タイフーン2009」での「Dialogue in Palestine」上映は、まずまずの成功だった。「参加者1人」という回もあったそうだから、20人以上の参加は盛況と考えていいだろう。 感想文を読むかぎりでは、メディアアクティビストFさんとのトークもなかなか好評だったようだ。

立場は若干異なるが、Fさんとはセンスが似ている。メディアの構造を考えるのが好きで、それを如何に逆用するかという仕掛けを常に考えているという点で、お互いヒネクレものである。そん
な二人が今回テーマに据えたのは、一言で言えば、「無関心に対する表現の闘い」である。 情報過多の現在、パレスチナのように遠い世界の出来事に共感を求めるには、それなりの技がいる。とはいえ、やりすぎれば演出過剰になってしまうし、「衝撃映像」ばかりをかき集めるのも考えモノだ。豊かな表現は共感を呼ぶが、それは常にエンターテイメントに堕してしまう危険性も孕む。エンターテイメントはある意味で、恐怖を「平和な日常」に回収し、結果的に無関心を温存する装置である。

まあ、そんなことをあれこれ話していた二人だったが、実際フタを開いてみると、客層は若い学生が中心。パレスチナ問題じたいを知らない人が多かったようで、そこまでの議論にはついてきてくれなかったようである。ともあれ、パレスチナに対する無関心だけは打破できたようなので嬉しい。映像で社会を動かしたいと願うわれわれにとっては、それが第一の「仕事」だ。

しかし、無関心が社会を動かさないのかといえば、そうでもない。AIDS問題が世界中で話題になっていた90年代初頭、アーティストによる啓蒙ポスターの一つに「無関心は人を殺す」という文言があった。そう、無関心は意外と積極的なのだ。

その最たるものが、構造改革路線に対する無関心だろう。派遣村の取り組みを撮影しているとき、入村者の誰かが「小泉政権のときに自民党に投票したやつは、ここに入る資格なんてない」と言っているのを耳にした。確かに、新自由主義的な政策は、必ずしも一方的に押し付けられたとは言い難い。バブル経済崩壊後の閉塞的ムードの中で、むしろ歓迎された感さえある。労働、福祉、医療といったあらゆる社会保障的枠組みが目に見えるほどに破綻し、初めて問題の本質に気づいた国民。その政治への無関心こそが、現在の破滅的状況を生み出したといえる。

VJU企業組合準備会が主催する「VJが訊く」のシリーズは、まさにこの問題を軸として企画している。今週末に行う第2回は、派遣問題を主に、新卒学生の就職問題にも触れる。今回上映するオリジナル映像の取材では、ジャーナリストの斉藤貴男さんが「現在の状況は、(経済の破綻が問題なのではなくて)新自由主義がまさに目指したものだ」と語ってくれた。すなわち、派遣問題も学生の就職難も「意図された結果」だということだ。これに対して、どう闘っていくのか。外堀をすべて埋められる前に、われわれはこの件に関する無関心を打破する必要がある。

「VJが訊く!第2回 貧困と闘う ~敵はどこにいるのか~」は、7月11日(土)新宿ネイキッドロフトで、夜7時半からスタート。無関心の怖ろしさに気づいてるなら、ぜひ参加して、われわれとともに語り合ってほしい。まだ、終わりじゃないと思う。

2009年7月3日金曜日

臥薪嘗胆


「Dialogue in Palestineパイロット版」(2003)が東京ビデオフェスティバル2006で優秀作品賞を受賞したとき、授賞式での紹介の枕詞は「ジャーナリズムの栄光」 というものだった。しかし、この作品は自分にとっては生涯最大の「敗北」の象徴である。

「カメラは銃より強し」と思っていたあのころの自分は傲慢だったと思う。現実は甘くない。イスラエル兵に腕を捻り挙げられ、後ろ手に縛られて額に銃口を突きつけられてなすすべもなかった。奪われたカメラに収めた貴重なテープは戻ることがなく、彼らの暴力性を示す大切な「弾」をなくした。人々の日常に深く刻まれ続ける占領者の暴力。パレスチナ問題はあまりにも深刻で、訪れる者を絶望と虚無と深い無力感に陥れる。自分に何ができるのか、ただそれだけを問うた作品に自らの思いは昇華した。

この作品で描かれるのは2002年のパレスチナだ。特に侵攻が激しかったといわれる年。苦悩に満ちた日々は、自らの精神もむしばんだ。作品を仕上げたとき、すでに自分はぼろぼろになっていた。力尽きて上映会に遅刻し、多くの人に迷惑をかける結果を招いた。あらゆる意味で、敗北だった。

臥薪嘗胆の故事のとおり、この敗北はその後の自分を時に深い闇に突き落とし、あるいは逆に奮い立たせた。タイトルにあるように、この作品は未完成(ストーリー的には完結している)のまま、常に自らに問いかけ続ける。お前の闘いとは何か、何のために闘うのか、と。

パレスチナ。懐かしくて、楽しくて、つらくて、哀しくて、それでも美しいところ。

VJU企業組合準備会は、今夜から東京外大で開催される「カルチュラル・タイフーン2009」に参加する。7月5日午後15:40からは「Dialogue in Palestine」の上映だ。トークセッションの相方を務めてくれるのはメディアアクティビストのFさんだ。ガザ空爆の続いた昨年末、彼がYOU TUBEにアップした映像には、現地のパレスチナ人から、イスラエル大使館前で抗議する日本人への感謝のコメントがついた。

一方現地では、イラク戦争以降日本の軍事行動に対する批判が聞かれるようになっている、と多くのジャーナリストが言う。2004年の取材では、自分もそうした声を聞いた。

国際社会は鏡である。

道を誤らないように、裸の王様にならないように・・・

映像表現がその道標になるように、自分は今日も薪に座り、胆を嘗める。