2010年9月25日土曜日

メディアの功罪

行政代執行による宮下公園のテント等撤去に関するニュースが各局で放送され、ある意味で一歩前進ではないかと思った。公園の公共性や野宿者保護の観点から、整備計画=「NIKE宮下パークの建設」に反対する人々の問題提起が初めて社会に届いたといえよう。

貧困、自殺、あるいは凄惨な殺人事件等、多くの人に関係する、あるいは関係するかもしれない話題に比べれば、一つの公園の運命は必ずしも具体的な影響のある話題ではないかもしれない。しかし、野宿者保護はもちろんのこと、新自由主義的な発想で地域行政が企業に阿(おもね)る傾向や、公共空間の利用に関する議論は、本質的には今後の社会の様相を左右するといっても過言ではないだろう。一つの具体例として、宮下公園の話題がマスメディアに登場したことは歓迎したい。

ただし、これは手放しの歓迎ではない。お粗末な報道が多いからだ。

ニュースとなった行政代執行は、ある意味で渋谷区の企みの最後のプロセスにすぎない。ここへ至るまでの間、区は着々と「排除」という既成事実を積み重ねてきた。そもそも、宮下公園は30人以上の人々が寝泊りをする場所であり、今年2月にそんな彼らを駅へ続く線路沿いのテントへ渋谷区が移転させたという事実がある。

これを、区は「代替地」と呼ぶが、支援者らの間では「鶏小屋」と呼ばれている。一見、野宿者の保護に積極的なように感じる向きもあるかもしれないが、とんでもない話だ。バイク置き場の裏側に、フェンスとブルーシートで作られた<官製のテント>はバイクの排気ガスとエンジン音に晒され、夏は摂氏40度を越える暑さだったという。公園のように木陰はないため、直接陽が当たるのだ。ダムで埋まる村に対する代替地は通常、それなりの規模の一戸建てだったりするが、野宿者相手ならばアパートないし寮での保護を勧めるのが筋であろう。そもそも、ホームレス自立支援特措法というのは、そういう法律のはずだ。劣悪な場所に代替のテントを作ることを、「支援施策」とは言わない。ただのゲットーだ。ちなみに、この夏「鶏小屋」では、一人の男性が重度の糖尿病によって亡くなっている。 彼を殺したのは誰か。言うまでもなかろう。

福祉政策が脆弱な状態で公共の場を潰すというのは、行くあてのない人間までも殺す、ということを意味する。

だが、TBSの報道ではこの「鶏小屋」の映像に、あたかも「撤去される対象のテント」であるかのようなナレーションをつけて流していた。なんともお粗末な誤報である。撮影したのは、<撤去の対象などではなく、渋谷区による過去の撤去の結果である>という、厳然たる事実を彼らは理解していないと思われる。これは、マスメディアの取材班がいかに現場から情報を得ていないかを証明するようなニュースだった。では、彼らは何から情報を得ているのか。

行政代執行による撤去が行われた24日。午前10時から30分間、渋谷区は宮下公園の内部をメディアに公開した。ネットメディアをアウトプットとするVJUOur Planet TVも快く中に入れてくれるとは、なかなかオープンじゃないか、と思ったのもつかの間。とんでもない光景を目にしてしまった。

公園内で多数のTVクルーがいっせいにカメラを向けている対象。それは、過去の撤去作業によって残された野宿者たちの生活用品であった。そこだけフェンスを外し、「撮ってください」と言わんばかりに職員たちがクルーを案内する。廃棄された生活用品を我先にと撮影する取材陣。本来は、撤去を行った渋谷区がとっくに処理していてしかるべきものを、だ。支援者らの話によれば、渋谷区はこれを<整備計画に反対する人々が散らかしたゴミだ、と喧伝している>というのだから、まったく呆れた話だ。 まさに情報操作以外の何物でもない。なんのことはない、彼らは公園を閉鎖的で一時的な記者クラブに仕立てて、一方的なディスクール(言説)をメディアに流したかったというわけだ。

渋谷区の狡猾さは言うに及ばずだが、逆に言えばマスメディアはナメられているのである。

記者クラブなどで行われる「大本営発表」を鵜呑みにして、自らディスクール(言説)を構築しようとしない。その怠惰な習性を、巧みに利用されているということである。長期・継続取材も可能な特集番組とは違い、ニュースの報道は記者と技術陣によって行われる流れ作業だ。そこには当然限界もあることだろうが、あまりにも情けない事態である。今に始まったことではないが・・・

今のところ、DROPOUT TVのコンテンツは当事者や支援者の皆さんには概ね好評だ。「よかったよ」と言われると、それだけで報われる気持ちになる。だが、これはあくまで相対的な評価だろう。非営利で、無償の活動であるD-TVに費やせる時間は限られている。凝ったものを作る余裕はないので、あえてオーソドックスな様式で最低限の努力を続けている。


もろもろ無理はあるものの、われわれが無償でやっていることを、有償なのにできていないマスメディアのほうに問題があるのだろうと解釈する。

2010年9月22日水曜日

行政マンの誇りやいずこ

宮下公園が封鎖された。DROPOUT TV ONLINE でもニュースをアップしたが、封鎖当日は早朝に支援者から連絡を受け、VJUは現場に急行。徹底した警備体制にも驚いたが、何より呆れたのは公園課長の暴言の数々であった。

「どこに行けばいいんですか?寝場所は?」と遠慮がちに問う野宿の人に「探してよ」と言い放つ。支援者らのブーイングに慌ててそれを否定し、「見つからないなら、相談に来てよ」と言い直す。単なる失言であろうし、それをあえて追及するのは揚げ足取りというものだろう。

ただ、そんな失言には野宿者に対する差別的な意識が見え隠れする気がして、やりとりをあえて場面に入れさせてもらった。渋谷区は強制代執行も宣言し、整備計画=宮下NIKEパーク建設計画をごり押しする姿勢。もろもろ覚悟の上だろうから、容赦はしない。

彼のべらんめえ口調はある意味ユーモラスであり、ガードマンに囲まれながら登場する場面は、まるでスターウォーズのベイダー卿さながら。「格好いいだろ」とニヤリと笑うあたり、憎めない人物のようにも思われる。どちらにせよ、彼はあくまで現場担当者にすぎないので、個人としての評価は些細なこと。

重要なのは、区長をトップに行政マンたちが、自ら管理する空間をどう捉えているのか、という点だ。

今までの取材で聞いた限り、彼らは「管理責任者であることは所有者であること」と履き違えているようである。工事説明会では、「区民」を集めて意見を聞く、というような姿勢を示しつつ、あくまで「計画の報告」に終始した。

その「区民」たちは、ただの添え物なのか、地権者なのか・・・いずれにせよ、初めから計画に賛成する人々のように感じた。高齢者ばかりが集まっていて「ボーダー用のスケート場を作ってほしい」と主張するのには、正直なところ失笑を禁じえなかった。「NIKEパークができたら、あんた滑るのかい?」と質問しようかと思ったくらいだ。

こういう問題の賛否は「誰が得をするか」という点で分かれると言っていい。彼らは整備計画でなんらかの得をする、あるいは得をすると見込んでいる人々であるのだろう。真相は不明なので、それ以上は書かない。問題は、公共空間の利用を利用者抜きで考えていいのか、という点だ。

渋谷区の公園課長は過去に「ナイキから金もらって何が悪い。金もらって整備してもらって、区の財政も助かっていいことずくめじゃないか」という発言をした。だが、その財源はどこから来ているのか。逆に問いたい。渋谷区のあの高密度な商業空間を考えれば、法人税収の割合は比較的高いだろうし、圧倒的な数の店舗に金を落としているのは住民ではなく、他の地域から訪問した人間たちであるはずだ。

タバコを買うでも、一杯やるにしても、渋谷に立ち寄った人々はさまざまな形で税収に貢献しているはずであり、それを無視するのはいかがなものか。そして、都市空間で時間をつぶそうと思ったとき、選択肢が喫茶店だけでは参る。コーヒーなど何杯も飲めるわけではないし、安くもない。そもそも、時間を潰すために金を払うということは無駄である。なんとなくボーっとできる空間があることは大事だし、野宿する人々にとっては死活問題。住民票があろうがなかろうが、自由に利用できる空間くらいは当たり前にあるというのが都市の懐の深さというものだろう。そこがまた有料施設になってしまうというのは、あまりにも息苦しい。

「財政が苦しいから、トイレは全部有料にします」

と言っているようなものだ。今やコンビニでさえ、何も買わなくてもトイレは貸してくれる。

行政マンの誇りはどこにあるのか。何か勘違いしていないか。地方公務員はあくまで公から雇われた身であって、公に君臨する身ではない。渋谷区にとっての公は区政だけが支えるのではなく、訪れる多くの人々が支えている。それを忘れてもらっては困る。

突然の実力行使に怒る市民たちは、明日から大規模な抗議行動に出るという。単なる小競り合いに終わるのか、社会に対する大きな問題提起になるか・・・

いずれにせよ、宮下公園の問題は、日本人の公共感覚が問われる試金石だと思う。

2010年8月30日月曜日

無関心と勇気


猛暑続きの中、部屋にエアコンのない独居老人が何人も亡くなっているという。その中には、元ホームレスで生活保護によってアパートに入居した人もいるらしい。なんとも痛ましい話だ。保護によって最低限の生活が必ずしも保障されていないというのも問題だが、社会的に孤立した中で亡くなっていく、という点は、看過できない。むしろ、それこそが福祉やホームレス問題の本質であるようにさえ思う。

少し前の話題になるが、「第4回VJが訊く!」(3月15日開催)のゲストとして登場してくれた稲葉剛さん(NPOもやい・代表理事)は、ホームレスに対する無関心と最も長く闘ってきた一人だ。学生時代からのつきあいなので、自分にとっても最も長い盟友ということになる。今回は彼が上梓した「ハウジングプア」の出版記念という意味合いも込めて、ホームレス問題の最前線について語り合ったが、今や彼は時の人だ。

かつては「特殊な人々の問題」とされてきた貧困問題が、1999年の労働者派遣法改正以降、さまざまな立場の人に降りかかっている。非正規雇用労働者だけではない。正社員も、新卒学生さえも、今や「奴隷となるか、宿無しになるか」の二者択一を求められているかのようだ。なんのことはない。新自由主義とは、ホームレスを作り出すような労働環境を日本中に拡大し、企業だけが儲かる国を作ることだったわけである。社会の人々の多くが「他人事」と考えているうちに事態は進行した。そして、この有様である。こういう時代になって、ようやく稲葉さんらの訴えが注目されるというのは、喜ばしい反面、皮肉な事態といわざるを得ない。 ホームレス問題の構造をきちんと考えれば、十分に予測できたはずの事態である。公の場でも「それみたことか」と、つい喉まで出かかってしまう。

かくいう自分も、初めから野宿する人々の人権問題を理解していたわけではない。稲葉さんや黒岩大助さん(現・のじれん)らのグループ「渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会(いのけん)」が、野宿者支援を始めた20年ほど前、その動機に今ひとつ共感しきれない自分がいた。 <努力しても報われないことがある> という絶対的な事実を、下請け労働者としての映像制作者という立場で、身を以って知るまでは―

その後の数年は、ほぼ一連托生のように現場で共に闘った。といっても、もちろん自分は取材者ないし記録担当者のような立場だったので、彼らの努力に及ぶほどのことはまったくできていないと思う。 彼らは、本当に根気強かった。

90年代後半、新宿の地下広場から西口4号街路まで、おびただしい数のダンボールハウスが並び、通勤する人々は毎日「見て見ぬふりをして」通り過ぎていた。当時の通行人に行った取材では、驚くべきことに「野宿する人は自由でうらやましい」などと発言する人が、少なくなかった。それに対して、「野宿している人と話したことはありますか」とさらに訊くと、「ないですね」とすべての人が答えるのだ。目の前に存在する事実を受け止めず、単に自分の人生観を投影して思考停止する発想。遠い中東の砂漠でもない、アマゾンの原生林でもない。目の前にある現実と人々の意識は、そうやって遮断されていた。

そんななか、「いのけん」の面々たちは毎晩のように野宿する一人一人と「話し込み」(ヒアリング)をして、倒れた人がいれば救急車を呼び、亡くなった人には花を手向けた。警察がダンボール撤去に動こうものなら、深夜でも早朝でも飛んできて対応した。地下通路の入り口では、粘り強く情宣活動を行っていた。一晩に数枚ハケればいい、というようなチラシを何十枚も刷って、である。「いのけん」はその後、 山谷の支援団体と合流し、当事者とともに「新宿連絡会」を立ち上げたが、そのとき彼らは、市民から遮断された壁の向こう側に立っていたといえるだろう。その不断の努力を思い起こすとき、深い敬意と心強さに満たされる。

ちなみに、この頃の動きについては、「俺たちは人間だ-新宿ホームレスの闘い-」(1994)という短い作品で残っている。もちろん、当時のビデオアクティビズムを象徴する存在だった「新宿路上TV」(1995-1998)や、「そこに街があった -新宿ホームレス強制撤去-」(1996)などのラインナップも、彼らとの共闘なしには、ありえなかった作品群である。

時代は変遷し、今は多くの人々が同じ壁の中にいる。かつて届かなかったさまざまな思いが、公の場できちんと議論されるようになった。貧困問題にもたくさんの切り口があるが、稲葉さんの場合は「住宅政策」を軸に活動を展開させている。どちらかといえば研究者肌の、彼らしいやり方だと思う。イベントでは、<ハウジングプアがいかに普遍性のある問題なのか>をアピールしよう、と打ち合わせてトークを進めた。

「国に、住宅省を作るよう働きかけます」

と彼が宣言したとき、会場の参加者たちの多くが頷き、拍手してくれた。地下通路の住人たちと日々わいわいやりながらコミュニティを作っていた、あの頃を思い出すような空気感。壊れてしまった社会ならば、もう一度作ればいい。そんな勇気を、古き盟友からまたもらった。

2010年7月8日木曜日

バンクーバー・ホームレス事情

この間、準備していた投稿文がいくつかあったのだが、VJUスタッフらの要望により、バンクーバー視察(6月28日-7月1日)の報告を書くことにする。「視察」といっても、もともとは上映会の参加が目的だった。サバチカルでバンクーバーに滞在する東経大の大榎先生から、<山谷 -やられたらやりかえせ->と、かつてのD-TVが作った<新宿路上TV>を現地で上映したいと要請があり、ちょっと顔見世という程度のつもりで訪問した。で、予想以上に現地のホームレス事情をいろいろ知ることになったというのが正直なところだ。

実は上映が行われたギャラリー<Centre A>は、まさに「バンクーバーの山谷」とも呼ばれる街のど真ん中に位置していた。ダウンタウンイーストサイドの港町ガスタウンとチャイナタウンに挟まれたこの界隈は、生活困窮者やホームレスの集中する貧民街(スラム)なのである。

街は歩行者優先、バリアフリーは常識、まさに人権擁護先進国ともいえるカナダも、何世紀にもわたるレイシズム(人種差別)の歴史が生んだ根の深い格差構造を抱えており、この地域の人口6千人のうちの7割がホームレスないし生活困窮者だという。生活保護費が少ないため、彼らの多くはアルミ缶やペットボトル、あるいは使用できそうな日用品などのリサイクルで小銭を得ながら暮らしている。

日本でも、野宿する人々がアルミ缶やダンボール回収で小銭を稼ぐ傾
向があるが、ここには、そうした不用品を換金できる店もあり(画像右)、自由に耕作できる小さな農園も市によって提供されている。日本の支援活動が主に民間のボランティアによって営まれているのに比べると、社会による保護は若干手厚く見える。元図書館の建屋を利用したカーネギーセンター(画像上)では、1日3食異なるメニューで無料の食事が提供され、さまざまな自立支援のプログラムが行われている。再開発の結果として見捨てられたマンションなどは市が買い上げ、野宿する人々に部屋を与えてきたという。

ただし、かつて阿片の荷卸場でもあったバンクーバーでは、ドラッグ中毒が深刻だ。街を回っていたほんの数十分の間に、警察官が住民を拘束し、ボディチェックを行っている場面、ジャンキーの人が施設の車で移送される場面などに出くわした。路上で徘徊する人々にもまるでゾンビのような歩き方をしている人が多い。低質なコカインであるクラック中毒の典型的な症状だという。多くの観光客が訪れるきらびやかな地区のすぐ隣にそういう風景があるのだから驚く("Downtown Eastside Vancouver" でGoogle検索すると、画像がいろいろヒットします)。

しかし、支援者たちはそんな彼らを排斥すべき犯罪者として扱うことはしない。カーネギーセンターのスタッフRさんは、「ドラッグは健康問題だ」と断言する。ドラッグ依存のケアのため、カウンセリングとともに段階的に量を減らす形での薬物注射(Free Injection)を行って、一人一人に対処しているという。この方法は、オランダのアムステルダム市と同じだ。

また、生活困窮者やホームレスのエンパワメントのための表現活動も盛んで、多くのアーティストがギャラリーやフリーペーパーなどの媒体を使って情報発信を行っている。ここで「山谷」と「新宿」の映像を見せるというのは、想像以上に意義深いことだった。

2本の映像の上映後、高度成長期からバブル期、そしてリーマンショック後の日本のホームレス事情についてブリーフィングを行ったが、30人ほど集まった参加者たちは、かなり真剣に話を聞いてくれた。主に支援者やアーティストらが中心で、質疑応答でも活発な議論が行われた。特に印象的だったのは、<日本では毎年3万人もの自殺者が出ているのに、ホームレスに対するメンタルケアは行われていないのか>という質問だ。<自分の知る限り、専門家によるメンタルヘルスの調査は、去年池袋の支援団体(TENOHASI)が行ったものが最初で唯一だと思う>と話したところ、大変驚かれた。ホームレス以前に、一般の人々さえ新自由主義的な<自己責任論>に追い詰められているという現状は、人権擁護先進国の人々には理解しにくいようである。

終了後は、何人もの人々が声をかけてくれて、われわれが運営する動画サイト「DROPOUT TV ONLINEへの協力を申し出てくれた。同じホームレス問題といっても、共通点もあれば、相違点もある。交流を通じて、ホームレス支援のさまざまな方法論が共有されていく・・・そんな未来を展望しつつ自分もがんばっていきたいと、改めて思った。



2010年4月4日日曜日

DROPOUT TV ONLINE 始動!


2つ前の投稿「路上を奪還せよ!」でも予告した、動画配信のプロジェクト「DROPOUT TV ONLINE(ドロップアウトティービーオンライン」が軌道に乗りつつある。動画の本数は現在12本。まだまだコンテンツは少ないし、ページレイアウトも未完成。つまり未だ試験配信中ではあるのだが、2月末あたりからアクセスが急増し、市民運動関係の皆さんにご好評をいただいている。

「DROPOUT TV」のネーミングは「新宿路上TV」(1995)などの活動を行っていた頃の制作グループ名に由来する。「ホームレスのための情報番組」という異色のメディア活動が話題となり、「ビデオアクティビズムの金字塔」と呼ばれた「新宿路上TV」。今回のプロジェクトの目的は、そのコンセプトをネット上に実現することだ。「新宿路上TV」はまさに路上に置かれたテレビで上映されていた。当時はインターネットそれ自体のサービスも始まったばかり。ビデオカメラもアナログで、PCによる編集もまだできなかった。ちなみに「DROPOUT」とは映像業界の専門用語で、信号が抜け落ちるノイズのことを言う。当時の映像的クオリティを自嘲したネーミングだった。まさに、隔世の感、である。

取材の場が「新宿」に限定されていた「路上TV」よりも、今回のプロジェクトのほうが若干カバーする領域が広い。メンバーもプロ志向で、もちろん撮影も編集もデジタル。とはいえ、「路上を切り口に生活困窮者や路上表現のニュースを伝える」というコンセプトは健在だ。ネット放送の性格上、自分がキャスターとして登場するというパターンを採用しなかったため、「路上TV」にあったファンキーなムードが感じられないのが寂しいといえば寂しいところ。そのへんは、今後考えていきたいと思う。

ともあれ、内容よりも何よりも、一番違うのは配信の場が「ネット」であることだ。アクセスが伸び始めたきっかけになった「D-TV NEWS003 3月1日(月)渋谷区で野宿者追い出し!?」。そのアップロードで、ネットの力を改めて実感した。

区役所地下駐車場の夜間・休日閉鎖の決定に伴い、駐車場で寝泊りする人々に対する渋谷区の配慮がない、という事件を追ったニュースである。取材から3日後のアップだった。この件を特に急いだ理由は、駐車場が人目につきにくく、支援者も少なかったため、行政の方針いかんによって「強制排除」もありうる状況と判断したからである。いわゆる「ホームレス特措法」においては、行政は管轄内の野宿者を保護する義務を持つとされている。しかしながら、実態としては生活保護申請の窓口での拒否(=水際作戦)は、各地で繰り返されている。いくらなんでも区役所の膝元で野宿する人々を追い出すなどという暴挙は、人権的にも法的にも看過できない。

駐車場夜間閉鎖予定の3月1日、100人以上の市民が応援に駆けつけて、渋谷区は閉鎖を延期、野宿する人々の福祉相談に乗ると表明した。われわれの作ったニュースの更新情報も多くの人々に告知され、アピールに一役買ったようだ。支援者の方からは「渋谷区はネットに情報が載ったということで、ビビりまくってました」と感謝の言葉をいただいた。

とはいえ、われわれは<支援者に命じられて撮っている>というのとは違う。不偏不党の原則のもと、われわれはわれわれ自身の判断で、野宿者の人権を擁護すべきと考えた。その結果の報道である。そういうことを大手のマスコミがやらないことのほうがおかしいと思う。不偏不党とは本来<政治的権力などに屈しなくてすむよう>「表現の自由」を社会が保障べきだという意味の概念である。<メディアが中立を保つべき>という意味ではない。

<報じるべきと自ら思うことを報じる>むしろ、これこそが自分の考える理想のジャーナリズムなのだ。「やりがいがありますね!」と若い仲間たちが言ってくれたのも嬉しかった。ただ撮る、つなぐ、ということで映像作品が完結してはメッセージにならない。社会とのフィードバックがあって、初めてメッセージなのだ。ジャーナリストを目指す若者たちにもっとも感じてほしい実感を、DROPOUT-TVの枠組みがもたらしてくれたのも重要だと思っている。

その実現にはネットの持つ力がやはり大きい。路上で発信するだけでは視聴者は限られるが、ネット上では無限の可能性がある。かつて、路上のコミュニティに根ざしたDROPOUT TVのコンセプトが、ネット上に築かれる地域を越えた人権擁護のコミュニティに根を下ろしていけたら嬉しい。

格差社会の進行するなか、あくまでも底辺の視点からの報道を貫き、さらに多くの人々とのつながりを以って、新たな報道のスタイルを追求したい。この活動で目指すのは、「アンチマスメディア」のスタンスではなく、「ポストマスメディア」の雛形づくりである。

路上の出会い、そして広がり

前回の投稿から、半年過ぎてしまったので、矢継ぎ早に書かなければならない。まずは去年11月21日のトークイベント「第3回VJが訊く!ストリートを取り戻せ」についてだ。と、まとめてしまうには収まりきらない大切な出会いについて語らなければならないだろう。

ストリートシンガー・三浦一人さん。 彼と初めて出会ったのは8月初旬。中野駅北口の歩道だった。美しいメロディラインと、冴えた歌声が、北口ロータリーに響き渡り、道行く人の多くがが彼の前で足を止めた。何度も振り返る人もいた。「本物だな。いつかゆっくり話してみたい」と思った。そう時を経ないうちにそれは実現し、今ではもう親友である。それどころか、直感は大当たりで、実は3年間で4千枚もCDを売り、300人の観客をホールに集める実力派だった。

9月からの半年間、彼とはさまざまな時間をシェアした。多くのことを語り合い、共感した。教え子のドキュメンタリー制作への取材協力を皮切りに、年明けには、彼のホールコンサート撮影をVJUが担当。中でも特に大きかったのは、イベント「第3回VJが訊く!」の特集映像で、軸として登場してもらったことだ。路上での表現活動に対する警察や行政からの規制が強まる中、ミュージシャンたちがいかに路上演奏の場を確保するのに苦心しているかについて、わかりやすい具体的なケースとして取材できたこと、何よりも公共空間の利用について、アーティスト側からの意見が聞けたのは貴重だった。

「第3回VJが訊く!」では、ゲストとして浜邦彦さん(早稲田大学准教授)を招いた。渋谷区がネーミングライツをナイキジャパンに譲渡した宮下公園のケース、野外音楽堂での演奏ジャンルを制限した代々木公園のケースとともに、三浦さんの体験は、「公共」という目には見えない概念について語りあうのに、貴重な題材となった。

VJUブログにあるように、この日の議論はまさに白熱。三浦さん自身が途中から飛び入りゲストとして登場してくれたこともあって、有意義な意見交換ができたと思う。イベントでは、公共空間とそれに対するジェントリフィケーション(再開発などによる排除)など、浜さんのアカデミックな視点からの解説とともに、会場からも積極的な発言が相次いだ。特に印象深かったのは、規制の根拠となる「苦情」がどこから寄せられているのかという議論。中でも一人の学生さんの言った「警察や行政など第三者が介在せず、直接交渉できるような空間にすべきなのでは」という意見は非常にユニークだった。つまり、ちゃんと「出会って」いないからこそ、問題が生じるという見方である。

この視点は、公共空間を考える上で、非常に重要だと思う。特集映像の取材に協力してくださった社会学者・毛利嘉孝さんが「公共空間は意見表明の場だ」と定義することにも通じる。すなわち、「出会い、語らい、時には交渉を行う」という民主主義の発想こそが、公共空間に投影されるべき考え方なのだという一つの弁証法的な答えが導かれる。

ゲストの浜さんとは「たぶん結論が出ないよね」と打ち合わせて始めた議論が、意見交換の中で収斂されていく。話の流れの中で、可能性が見えてくる。トークイベントの面白さを再認識した日だった。こうした議論も、違う人間同士が出会うことから始まるのだ。公共空間への過剰な規制も、意見を交わすことから変えていけたらいいなと思う。

すべては「出会い」から始まる。「出会い」が「出会い」を呼んで、さらに広がる。「出会い」の力こそが、窮屈な社会を変えていける。自分も「路上」を出発点に、信じて闘っていきたいと思う。