2010年9月22日水曜日

行政マンの誇りやいずこ

宮下公園が封鎖された。DROPOUT TV ONLINE でもニュースをアップしたが、封鎖当日は早朝に支援者から連絡を受け、VJUは現場に急行。徹底した警備体制にも驚いたが、何より呆れたのは公園課長の暴言の数々であった。

「どこに行けばいいんですか?寝場所は?」と遠慮がちに問う野宿の人に「探してよ」と言い放つ。支援者らのブーイングに慌ててそれを否定し、「見つからないなら、相談に来てよ」と言い直す。単なる失言であろうし、それをあえて追及するのは揚げ足取りというものだろう。

ただ、そんな失言には野宿者に対する差別的な意識が見え隠れする気がして、やりとりをあえて場面に入れさせてもらった。渋谷区は強制代執行も宣言し、整備計画=宮下NIKEパーク建設計画をごり押しする姿勢。もろもろ覚悟の上だろうから、容赦はしない。

彼のべらんめえ口調はある意味ユーモラスであり、ガードマンに囲まれながら登場する場面は、まるでスターウォーズのベイダー卿さながら。「格好いいだろ」とニヤリと笑うあたり、憎めない人物のようにも思われる。どちらにせよ、彼はあくまで現場担当者にすぎないので、個人としての評価は些細なこと。

重要なのは、区長をトップに行政マンたちが、自ら管理する空間をどう捉えているのか、という点だ。

今までの取材で聞いた限り、彼らは「管理責任者であることは所有者であること」と履き違えているようである。工事説明会では、「区民」を集めて意見を聞く、というような姿勢を示しつつ、あくまで「計画の報告」に終始した。

その「区民」たちは、ただの添え物なのか、地権者なのか・・・いずれにせよ、初めから計画に賛成する人々のように感じた。高齢者ばかりが集まっていて「ボーダー用のスケート場を作ってほしい」と主張するのには、正直なところ失笑を禁じえなかった。「NIKEパークができたら、あんた滑るのかい?」と質問しようかと思ったくらいだ。

こういう問題の賛否は「誰が得をするか」という点で分かれると言っていい。彼らは整備計画でなんらかの得をする、あるいは得をすると見込んでいる人々であるのだろう。真相は不明なので、それ以上は書かない。問題は、公共空間の利用を利用者抜きで考えていいのか、という点だ。

渋谷区の公園課長は過去に「ナイキから金もらって何が悪い。金もらって整備してもらって、区の財政も助かっていいことずくめじゃないか」という発言をした。だが、その財源はどこから来ているのか。逆に問いたい。渋谷区のあの高密度な商業空間を考えれば、法人税収の割合は比較的高いだろうし、圧倒的な数の店舗に金を落としているのは住民ではなく、他の地域から訪問した人間たちであるはずだ。

タバコを買うでも、一杯やるにしても、渋谷に立ち寄った人々はさまざまな形で税収に貢献しているはずであり、それを無視するのはいかがなものか。そして、都市空間で時間をつぶそうと思ったとき、選択肢が喫茶店だけでは参る。コーヒーなど何杯も飲めるわけではないし、安くもない。そもそも、時間を潰すために金を払うということは無駄である。なんとなくボーっとできる空間があることは大事だし、野宿する人々にとっては死活問題。住民票があろうがなかろうが、自由に利用できる空間くらいは当たり前にあるというのが都市の懐の深さというものだろう。そこがまた有料施設になってしまうというのは、あまりにも息苦しい。

「財政が苦しいから、トイレは全部有料にします」

と言っているようなものだ。今やコンビニでさえ、何も買わなくてもトイレは貸してくれる。

行政マンの誇りはどこにあるのか。何か勘違いしていないか。地方公務員はあくまで公から雇われた身であって、公に君臨する身ではない。渋谷区にとっての公は区政だけが支えるのではなく、訪れる多くの人々が支えている。それを忘れてもらっては困る。

突然の実力行使に怒る市民たちは、明日から大規模な抗議行動に出るという。単なる小競り合いに終わるのか、社会に対する大きな問題提起になるか・・・

いずれにせよ、宮下公園の問題は、日本人の公共感覚が問われる試金石だと思う。

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