2009年5月22日金曜日

プロフェッショナルたち


肝炎問題の取材で、北海道へ一泊二日のロケ。悪天候には祟られたものの、B型肝炎の患者さんと肝臓専門医の方の貴重なお話を聞くことができた。薬害C型肝炎訴訟は去年ついに和解を勝ち取ったが、輸血などの他の感染ルートを含めると、全国に350万人の肝炎患者・感染者が救済を待っている。ほとんどの人々は自己責任で感染したわけではない。ウイルス性肝炎とは、一言で言えば「医原病」(医療行為が原因でかかる病気)であり、患者・感染者は純然たる被害者だ。薬害C型訴訟の和解、B型の最高裁勝利判決を足がかりに、彼らは今一丸となって肝炎救済法の制定を呼びかけている。

自分は2年前、薬害C型肝炎の運動展開用のオリジナルドキュメンタリー「夢をかえして」を担当したが、今回はより広い視点での「第2弾」の制作に携わっている。

継続的に関わる中、C型原告団の山口美智子さんや、福田衣里子さんの頑張りには、いつも圧倒されているが、同時にこれらの運動を支える人たちの力にもつくづく頭が下がる。病気というのは思想信条に関わらず罹るものなので、こうした運動を支えているのは、必ずしも党派性のある団体ではない。心ある弁護士や、医師、ジャーナリストといったプロフェッショナルたち、そして無名の市民たちの力だ。

薬害C型肝炎の運動を支えてきた鈴木利廣弁護士は、かつてHIV訴訟を勝利に導いた、弁護士としてはプロ中のプロ。ズバリ、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介されている。弁護士の仕事のみならず、政治家やマスコミとの交渉にも長けており、明晰な判断力にはいつも舌を巻いてしまう。

B型の場合は、集団予防接種における注射の回し打ちが主たる感染源だ。それをつきとめたのは、北海道の美馬聡昭医師感染者の年齢推移と、ツベルクリンなどの集団予防接種で注射器が使いまわされていた時期が一致することを突き止め、B型肝炎訴訟提訴の足がかりを作った。

一般社会においてはもちろんのこと、当の感染者・患者自身でさえまったく知らなかった真相を明らかにしていったという点では、ジャーナリストたちの力も大きい。フジテレビNEWS JAPANはこのジャンルの報道について先頭を切っていたが、ひとえにチーフディレクター岩澤倫彦氏の執念によるところだ。「薬害肝炎 誰がC型肝炎を『国民病』にしたか」を著した大西史恵さんは、自分が出会った当時は「週間金曜日」の編集者だったが、仕事の枠を超えて法廷にも集会にも足しげく通っていた。2006年に初めて関わりを持った「新参者」の自分にとって、「先輩」である彼らの視点が大きな拠り所となったことは言うまでもない。

こうした人々との出会いで感じることは、何よりもまず「プロフェッショナルであること」の重要性だ。思想信条や政治性ではなくて、個々人が個々人の責任において自らの職業に忠実であること。人権に関わる仕事は、それを突き詰めることによって社会に新しい切り口をもたらしていくのだ。

誰も、一人で社会を動かしていくことはできない。だが、各々が職業的な「役割」にとどまらず、自らの心の声に従うことで、大きな潮流が生まれる。自分もまた、そうした一人でありたいと願う。

2009年5月16日土曜日

成し遂げ続けるということ


自分は理想家であるとともに、かなりの現実主義者だ。夢は実現させるものだと思っている。もともとは存在しなかった職業を形にした一人だから、この点は胸を張って語る資格があるだろう。とはいえ、夢を形にし続けることは、実現させることより実は難しい。

丸山真男という思想史家が書いた「であることと、すること」(岩波新書「日本の思想」所収)という文章を初めて読んだのは、高校生のときだった。「日本人は職業でも地位でも『○○である』ということにこだわるけれども、本当は『○○し続けること』が大事だ」というような指摘から、民主主義の発想を説く文章だ。「権利の上にねむる」日本人の精神的伝統を鋭く突いた名文だと言われている。
ここで語られる職業的アイデンティティの話題は本筋からすると比喩にすぎないのだが、成し遂げ続けることは確かに大変だと最近改めて思う。

そもそも、VJ(ビデオジャーナリスト)という職業を切り拓けたのは、必ずしも自分の努力や試行錯誤だけではない。時代の流れと合致しなければ実現しなかっただろう。そして、時代は常に流れ行くのだ。

合資会社VJUの組織的活動を休止してフリーになった理由は明快で、要は「社長業が楽しくなかった」からだが、再び組織作りに手を伸ばした今、われわれを取り巻く条件はかつてとは違う。人材を育てた経験も、仕事を開拓した実績も、同じ結果を再び得る保証にはならない。

ただ、去年から始めたVJU企業組合準備会には、合資会社にはなかった有利な点が一つある。

それは、一人一人が資本を持っている点だ。このご時勢、もちろん資金という意味ではない。人脈、アイデア、さまざまな違う技術・・・組み合わさって、予想外の戦略が生まれてくる。これが、実に面白い。新しいつながりに、新しい仕事の形…それを実現する過程がまた、仲間の結束を固めていく。

どんなに経験を積んでいたとしても、今この時代を生きるという点では、若者たちと同じく、自分も初心者だ。だから彼らは弟子ではあるが、部下ではない。誰が代表なのかも決まってないので、外から見ると理解しがたい組織らしい。だが、今のところ、その曖昧模糊とした感じさえも、妙に心地よい。

固いものは折れるが、柔らかいものはしなる。そこに強さがある。どんなに激動の時代でも上手に揺らいで立ち続ける、そういうネットワークに育ってくれたらいいなと思う。揺らぎを逆手にとった五重塔の優れた技術もまた、日本の伝統である。

2009年5月14日木曜日

「VJが訊く!」スタート


5月6日、VJU企業組合準備会の主催で、映像&トークイベント「VJが訊く!」が、いよいよスタートした。取材相手や取引先と会うのに忙しくて、必ずしも交友が広いとはいえない自分にとって、イベントというのはありがたい。今回は「フリーランサーの労働」をテーマにしたこともあって、畑違いの人々と問題を共有できたのが、何より嬉しかった。

われわれフリーランサーに対する世間の目は、実際かなり厳しい。「やっかみ半分、憧れ半分」といったところだろうか。「特殊な技能を持っている」と尊重された時代は遥か遠く、「好きなことをしているのだから、苦しい目にあって当然」というような差別的な対応はもはや日常である。正社員による非正規雇用労働者への差別とかなり近い。

だからといって、終身雇用労働者を敵視するつもりはない。社会にはいろいろな生き方があってよいし、お互いに必要としているから、お互いが生きている。その視点を忘れてはならない。彼らはそう思ってくれてはいないないようだが(笑)

イベントの打ち上げで若い仲間と話していて、「敵はどこにいるのか」という次回のタイトルを、シリーズ全体のタイトルにしてはどうか、という意見が出た。そう、立場の違う者同士のいがみ合いは、敵の思うつぼ。「新自由主義の破綻」という「第二の敗戦」時代に、われわれジャーナリストが行うべきことは、まず第一に敵を明らかにすることだ。

この事態はジャーナリズムに対しても変容を促す。高度成長の時代、テレビや新聞の対象は「平和で豊かな生活を営む、善意の一般市民」だった。しかし、そんなステレオタイプのマス(大衆)の存在は今や非常に疑わしい。ライフスタイルの多様化と格差の進行は、視聴者(読者)のニュースに対する当時者性を増すだろう。極端に言えば、「ホームレスがかわいそう」という見方をする視聴者(読者)より、「自分がホームレスになったら、どう生きるべきか」と考える視聴者(読者)が増えるということだ。

われわれは、メッセージのあり方自体を見直していかなければならない。新たな闘いの時が来た。