貧困、自殺、あるいは凄惨な殺人事件等、多くの人に関係する、あるいは関係するかもしれない話題に比べれば、一つの公園の運命は必ずしも具体的な影響のある話題ではないかもしれない。しかし、野宿者保護はもちろんのこと、新自由主義的な発想で地域行政が企業に阿(おもね)る傾向や、公共空間の利用に関する議論は、本質的には今後の社会の様相を左右するといっても過言ではないだろう。一つの具体例として、宮下公園の話題がマスメディアに登場したことは歓迎したい。
ただし、これは手放しの歓迎ではない。お粗末な報道が多いからだ。
ニュースとなった行政代執行は、ある意味で渋谷区の企みの最後のプロセスにすぎない。ここへ至るまでの間、区は着々と「排除」という既成事実を積み重ねてきた。そもそも、宮下公園は30人以上の人々が寝泊りをする場所であり、今年2月にそんな彼らを駅へ続く線路沿いのテントへ渋谷区が移転させたという事実がある。
これを、区は「代替地」と呼ぶが、支援者らの間では「鶏小屋」と呼ばれている。一見、野宿者の保護に積極的なように感じる向きもあるかもしれないが、とんでもない話だ。バイク置き場の裏側に、フェンスとブルーシートで作られた<官製のテント>はバイクの排気ガスとエンジン音に晒され、夏は摂氏40度を越える暑さだったという。公園のように木陰はないため、直接陽が当たるのだ。ダムで埋まる村に対する代替地は通常、それなりの規模の一戸建てだったりするが、野宿者相手ならばアパートないし寮での保護を勧めるのが筋であろう。そもそも、ホームレス自立支援特措法というのは、そういう法律のはずだ。劣悪な場所に代替のテントを作ることを、「支援施策」とは言わない。ただのゲットーだ。ちなみに、この夏「鶏小屋」では、一人の男性が重度の糖尿病によって亡くなっている。 彼を殺したのは誰か。言うまでもなかろう。
福祉政策が脆弱な状態で公共の場を潰すというのは、行くあてのない人間までも殺す、ということを意味する。
だが、TBSの報道ではこの「鶏小屋」の映像に、あたかも「撤去される対象のテント」であるかのようなナレーションをつけて流していた。なんともお粗末な誤報である。撮影したのは、<撤去の対象などではなく、渋谷区による過去の撤去の結果である>という、厳然たる事実を彼らは理解していないと思われる。これは、マスメディアの取材班がいかに現場から情報を得ていないかを証明するようなニュースだった。では、彼らは何から情報を得ているのか。
行政代執行による撤去が行われた24日。午前10時から30分間、渋谷区は宮下公園の内部をメディアに公開した。ネットメディアをアウトプットとするVJUやOur Planet TVも快く中に入れてくれるとは、なかなかオープンじゃないか、と思ったのもつかの間。とんでもない光景を目にしてしまった。
公園内で多数のTVクルーがいっせいにカメラを向けている対象。それは、過去の撤去作業によって残された野宿者たちの生活用品であった。そこだけフェンスを外し、「撮ってください」と言わんばかりに職員たちがクルーを案内する。廃棄された生活用品を我先にと撮影する取材陣。本来は、撤去を行った渋谷区がとっくに処理していてしかるべきものを、だ。支援者らの話によれば、渋谷区はこれを<整備計画に反対する人々が散らかしたゴミだ、と喧伝している>というのだから、まったく呆れた話だ。 まさに情報操作以外の何物でもない。なんのことはない、彼らは公園を閉鎖的で一時的な記者クラブに仕立てて、一方的なディスクール(言説)をメディアに流したかったというわけだ。
渋谷区の狡猾さは言うに及ばずだが、逆に言えばマスメディアはナメられているのである。
記者クラブなどで行われる「大本営発表」を鵜呑みにして、自らディスクール(言説)を構築しようとしない。その怠惰な習性を、巧みに利用されているということである。長期・継続取材も可能な特集番組とは違い、ニュースの報道は記者と技術陣によって行われる流れ作業だ。そこには当然限界もあることだろうが、あまりにも情けない事態である。今に始まったことではないが・・・
今のところ、DROPOUT TVのコンテンツは当事者や支援者の皆さんには概ね好評だ。「よかったよ」と言われると、それだけで報われる気持ちになる。だが、これはあくまで相対的な評価だろう。非営利で、無償の活動であるD-TVに費やせる時間は限られている。凝ったものを作る余裕はないので、あえてオーソドックスな様式で最低限の努力を続けている。
もろもろ無理はあるものの、われわれが無償でやっていることを、有償なのにできていないマスメディアのほうに問題があるのだろうと解釈する。