2010年4月4日日曜日
DROPOUT TV ONLINE 始動!
2つ前の投稿「路上を奪還せよ!」でも予告した、動画配信のプロジェクト「DROPOUT TV ONLINE(ドロップアウトティービーオンライン」が軌道に乗りつつある。動画の本数は現在12本。まだまだコンテンツは少ないし、ページレイアウトも未完成。つまり未だ試験配信中ではあるのだが、2月末あたりからアクセスが急増し、市民運動関係の皆さんにご好評をいただいている。
「DROPOUT TV」のネーミングは「新宿路上TV」(1995)などの活動を行っていた頃の制作グループ名に由来する。「ホームレスのための情報番組」という異色のメディア活動が話題となり、「ビデオアクティビズムの金字塔」と呼ばれた「新宿路上TV」。今回のプロジェクトの目的は、そのコンセプトをネット上に実現することだ。「新宿路上TV」はまさに路上に置かれたテレビで上映されていた。当時はインターネットそれ自体のサービスも始まったばかり。ビデオカメラもアナログで、PCによる編集もまだできなかった。ちなみに「DROPOUT」とは映像業界の専門用語で、信号が抜け落ちるノイズのことを言う。当時の映像的クオリティを自嘲したネーミングだった。まさに、隔世の感、である。
取材の場が「新宿」に限定されていた「路上TV」よりも、今回のプロジェクトのほうが若干カバーする領域が広い。メンバーもプロ志向で、もちろん撮影も編集もデジタル。とはいえ、「路上を切り口に生活困窮者や路上表現のニュースを伝える」というコンセプトは健在だ。ネット放送の性格上、自分がキャスターとして登場するというパターンを採用しなかったため、「路上TV」にあったファンキーなムードが感じられないのが寂しいといえば寂しいところ。そのへんは、今後考えていきたいと思う。
ともあれ、内容よりも何よりも、一番違うのは配信の場が「ネット」であることだ。アクセスが伸び始めたきっかけになった「D-TV NEWS003 3月1日(月)渋谷区で野宿者追い出し!?」。そのアップロードで、ネットの力を改めて実感した。
区役所地下駐車場の夜間・休日閉鎖の決定に伴い、駐車場で寝泊りする人々に対する渋谷区の配慮がない、という事件を追ったニュースである。取材から3日後のアップだった。この件を特に急いだ理由は、駐車場が人目につきにくく、支援者も少なかったため、行政の方針いかんによって「強制排除」もありうる状況と判断したからである。いわゆる「ホームレス特措法」においては、行政は管轄内の野宿者を保護する義務を持つとされている。しかしながら、実態としては生活保護申請の窓口での拒否(=水際作戦)は、各地で繰り返されている。いくらなんでも区役所の膝元で野宿する人々を追い出すなどという暴挙は、人権的にも法的にも看過できない。
駐車場夜間閉鎖予定の3月1日、100人以上の市民が応援に駆けつけて、渋谷区は閉鎖を延期、野宿する人々の福祉相談に乗ると表明した。われわれの作ったニュースの更新情報も多くの人々に告知され、アピールに一役買ったようだ。支援者の方からは「渋谷区はネットに情報が載ったということで、ビビりまくってました」と感謝の言葉をいただいた。
とはいえ、われわれは<支援者に命じられて撮っている>というのとは違う。不偏不党の原則のもと、われわれはわれわれ自身の判断で、野宿者の人権を擁護すべきと考えた。その結果の報道である。そういうことを大手のマスコミがやらないことのほうがおかしいと思う。不偏不党とは本来<政治的権力などに屈しなくてすむよう>「表現の自由」を社会が保障べきだという意味の概念である。<メディアが中立を保つべき>という意味ではない。
<報じるべきと自ら思うことを報じる>むしろ、これこそが自分の考える理想のジャーナリズムなのだ。「やりがいがありますね!」と若い仲間たちが言ってくれたのも嬉しかった。ただ撮る、つなぐ、ということで映像作品が完結してはメッセージにならない。社会とのフィードバックがあって、初めてメッセージなのだ。ジャーナリストを目指す若者たちにもっとも感じてほしい実感を、DROPOUT-TVの枠組みがもたらしてくれたのも重要だと思っている。
その実現にはネットの持つ力がやはり大きい。路上で発信するだけでは視聴者は限られるが、ネット上では無限の可能性がある。かつて、路上のコミュニティに根ざしたDROPOUT TVのコンセプトが、ネット上に築かれる地域を越えた人権擁護のコミュニティに根を下ろしていけたら嬉しい。
格差社会の進行するなか、あくまでも底辺の視点からの報道を貫き、さらに多くの人々とのつながりを以って、新たな報道のスタイルを追求したい。この活動で目指すのは、「アンチマスメディア」のスタンスではなく、「ポストマスメディア」の雛形づくりである。
路上の出会い、そして広がり
前回の投稿から、半年過ぎてしまったので、矢継ぎ早に書かなければならない。まずは去年11月21日のトークイベント「第3回VJが訊く!ストリートを取り戻せ」についてだ。と、まとめてしまうには収まりきらない大切な出会いについて語らなければならないだろう。
9月からの半年間、彼とはさまざまな時間をシェアした。多くのことを語り合い、共感した。教え子のドキュメンタリー制作への取材協力を皮切りに、年明けには、彼のホールコンサート撮影をVJUが担当。中でも特に大きかったのは、イベント「第3回VJが訊く!」の特集映像で、軸として登場してもらったことだ。路上での表現活動に対する警察や行政からの規制が強まる中、ミュージシャンたちがいかに路上演奏の場を確保するのに苦心しているかについて、わかりやすい具体的なケースとして取材できたこと、何よりも公共空間の利用について、アーティスト側からの意見が聞けたのは貴重だった。
「第3回VJが訊く!」では、ゲストとして浜邦彦さん(早稲田大学准教授)を招いた。渋谷区がネーミングライツをナイキジャパンに譲渡した宮下公園のケース、野外音楽堂での演奏ジャンルを制限した代々木公園のケースとともに、三浦さんの体験は、「公共」という目には見えない概念について語りあうのに、貴重な題材となった。
すべては「出会い」から始まる。「出会い」が「出会い」を呼んで、さらに広がる。「出会い」の力こそが、窮屈な社会を変えていける。自分も「路上」を出発点に、信じて闘っていきたいと思う。
ストリートシンガー・三浦一人さん。 彼と初めて出会ったのは8月初旬。中野駅北口の歩道だった。美しいメロディラインと、冴えた歌声が、北口ロータリーに響き渡り、道行く人の多くがが彼の前で足を止めた。何度も振り返る人もいた。「本物だな。いつかゆっくり話してみたい」と思った。そう時を経ないうちにそれは実現し、今ではもう親友である。それどころか、直感は大当たりで、実は3年間で4千枚もCDを売り、300人の観客をホールに集める実力派だった。
9月からの半年間、彼とはさまざまな時間をシェアした。多くのことを語り合い、共感した。教え子のドキュメンタリー制作への取材協力を皮切りに、年明けには、彼のホールコンサート撮影をVJUが担当。中でも特に大きかったのは、イベント「第3回VJが訊く!」の特集映像で、軸として登場してもらったことだ。路上での表現活動に対する警察や行政からの規制が強まる中、ミュージシャンたちがいかに路上演奏の場を確保するのに苦心しているかについて、わかりやすい具体的なケースとして取材できたこと、何よりも公共空間の利用について、アーティスト側からの意見が聞けたのは貴重だった。
「第3回VJが訊く!」では、ゲストとして浜邦彦さん(早稲田大学准教授)を招いた。渋谷区がネーミングライツをナイキジャパンに譲渡した宮下公園のケース、野外音楽堂での演奏ジャンルを制限した代々木公園のケースとともに、三浦さんの体験は、「公共」という目には見えない概念について語りあうのに、貴重な題材となった。
VJUブログにあるように、この日の議論はまさに白熱。三浦さん自身が途中から飛び入りゲストとして登場してくれたこともあって、有意義な意見交換ができたと思う。イベントでは、公共空間とそれに対するジェントリフィケーション(再開発などによる排除)など、浜さんのアカデミックな視点からの解説とともに、会場からも積極的な発言が相次いだ。特に印象深かったのは、規制の根拠となる「苦情」がどこから寄せられているのかという議論。中でも一人の学生さんの言った「警察や行政など第三者が介在せず、直接交渉できるような空間にすべきなのでは」という意見は非常にユニークだった。つまり、ちゃんと「出会って」いないからこそ、問題が生じるという見方である。
この視点は、公共空間を考える上で、非常に重要だと思う。特集映像の取材に協力してくださった社会学者・毛利嘉孝さんが「公共空間は意見表明の場だ」と定義することにも通じる。すなわち、「出会い、語らい、時には交渉を行う」という民主主義の発想こそが、公共空間に投影されるべき考え方なのだという一つの弁証法的な答えが導かれる。
ゲストの浜さんとは「たぶん結論が出ないよね」と打ち合わせて始めた議論が、意見交換の中で収斂されていく。話の流れの中で、可能性が見えてくる。トークイベントの面白さを再認識した日だった。こうした議論も、違う人間同士が出会うことから始まるのだ。公共空間への過剰な規制も、意見を交わすことから変えていけたらいいなと思う。
すべては「出会い」から始まる。「出会い」が「出会い」を呼んで、さらに広がる。「出会い」の力こそが、窮屈な社会を変えていける。自分も「路上」を出発点に、信じて闘っていきたいと思う。
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