2011年7月6日水曜日

「想定」の誤り

ちょうど地震の数週間前に膝を痛めたこともあって、ジャーナリストでありながら、被災地や原発の取材は一切できていない。だから、何かを書くとすれば、すでに報道されている内容を前提に、評論家的な意見しか言えないということを、まずお断りしておきたい。

3・11東日本大震災のもたらした問題を大きく分けるとすると、一つは津波被害であり、もう一つはいうまでもなく福島原発である。両者はまったく異なる問題でありながら、共通項が一つだけある。

それは「想定」の誤りである。すなわち「津波がどの程度の被害をもたらすか」という想定と、「原発を臨界溶融に至らしめた場合の想定」だ。この二つは、日本人の過去の歴史に孕む問題をまさに象徴していると思うのだ。 「まさか日本でこんなことが!」というようなコメントをどこかで読んだが、まさに日本だから起きたのだと思う。

そもそも環太平洋火山列の上に立つ日本は、プレートの接する場所でもある。地震は日常的に起きるし、巨大地震もどこで起きるか予測不能である。われわれの生活はそういうリスクの上に成り立っているにも関わらず、災害に応じた宅地開発は行なってこなかった。

スーパー堤防をどれだけ高くするかは問題ではない。高水位には届いても、水のエネルギーを計算しなければ、倒れて終わりである。エネルギー=質量x速度である。伝統的に流量や水位を「想定」して計画を作りがちな工法は片手落ちである。

大切なのは、洪水であれ、津波であれ、氾濫の恐れのある場所には宅地造成を行わないことである。

自然の猛威に如何にして耐えるか。確かに日本の建物の耐震構造は優れていた。しかし、地盤や周囲の環境にはまったく憂慮せず、ただ空いているからという理由で宅地造成を行なってきた経済の論理は、最終的に今回のような甚大な被害を招いた一因であろう。

政府は今後、被害の実態を詳細に調べ、広範囲にわたって宅地制限や都市計画の見直しを行なっていくべきだと思う。そのさいの基準は建築物の耐震強度だけではなく、被害の及ぶであろう範囲の「想定」に求めるべきだ。 もちろんこれは、家屋や財産、家族を失った方々の意思を尊重した上での話だが。

原発のほうは、いわずもがなである。津波が想定内か想定外かが
問題なのではなく、メルトダウンを「想定」していなかったことが一番の問題だ。その影で、事故後の危機管理、汚染物質の処理といった、国民の側からすれば最も重要な観点が抜け落ちていたのだから、これはもう未曾有の業務上過失致傷・(いずれは)致死に等しい罪と考える。最悪の事態が「想定」できていないこと自体が、罪なのだ。

民営であるならばなおのこと責任は免れまい。JR福知山線の事故しかり、さまざまな航空事故しかり、「故意ではない」「事故だから」と同情する向きには、まったく共感ができない。にもかかわらず、擁護論が後を耐えないのは、東京電力が一定の地域において、発電も送電も独占の企業であり、そこに公共性が喚起されてしまうからである。だったらこのさい、発電を自由化し、送電を国有化してしまえばよい。

ということで、一部の市民たちは東京電力の送電を国有化し、自然エネルギーも含めた原子力以外の電力を利用すべし!と声を上げ始めた。これはいい。さっそく署名した。締切まであと2日なので、賛同する人は是非署名をしてほしい。ネット上から簡単にできる。なお、原発の是非についてはNHKがアンケートを行っているので、これもまた意見を反映させるよいチャンスといえる。

最後に、最近の反原発アクションの様子をまとめた動画を以下に。アーティストたちのユニークな表現はもちろん、警察官との珍問答がとにかくウケて、YouTube上ではすでに800回再生された。反対の声を上げようにも、権力は犯罪企業・東電の肩を持つわけだから始末が悪い。反原発デモへの市民の参加が増えるにしたがって、不当な職務質問も今後増加するだろうと見込まれる。ちなみに警察もまた、「過激派集団」とか「狂信的宗教団体」といった凝り固まった「想定」の上でしか、市民を見ようとしない。「想定」をめぐる問題は山積みである。



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