2009年9月23日水曜日

路上を奪還せよ!


路上で横たわる人々を横目で見やり、「ああはなりたくない」と口にする人は多い。好き好んで貧困の淵に落ちたいと思う者はいない。社会は、苦しい生活を送る人々を今すぐにでも救済する必要がある。だが、自分は「ああなったら終わりだ」とまでは思っていない。

90年代後半。自分の取材人生は新宿駅西口の地下通路で、仲間たちとコミュニティを築きあげていく野宿労働者たちと共にあった(写真は当時の遠藤)。捨てられた段ボール箱で家を作るだけではない。雑誌や電化製品など、拾ったものをフリマで売って小銭を稼ぐ、空き缶で作った三味線(さんしん)を弾きながら、仲間と楽しく一杯やる…
路上に作られたコミュニティは貧しかったけれども、人間の叡智と共感が作る心温まる空間でもあった。自分だけでなく、多くのジャーナリストたちが取材のために足を運び和む時間を、密やかな楽しみにしていたはずである。

同じ頃、東京のあちこちの駅前にぽつりぽつりとストリートミュージシャンが登場し始めた。曲や歌声が気に入ると足を止め、CDを買ったり、話し込んで友達になったりした。既成の音楽では得られない楽しみがそこにあった。 路上は掃き溜めではない。豊かで、可能性に満ちた文化の発信地である。 「故郷」のない自分は、これらに触れる喜びを「東京で生まれ育った特権」のように感じていた。ドブネズミのような自分にとって、路上とは大切な居場所の一つなのである。

しかし、路上の文化は常に排除の対象になってきた。 ホームレスに対する強制撤去だけではない。昨今、「近隣住民の声」をタテに、炊き出しや路上での演奏や公園の使用に対し、行政が管理を強め、規制するケースが目立っている。 「公共の場所」を「皆ががまんするべき場所だ」と考える人たちと、「皆が自由に楽しめる場所だ」と考える人たちの間に、どうやら対立の構図が生まれているらしい。

もちろん自分は後者の立場だ。
「路上を奪還せよ!」―遠藤大輔とVJUは、この秋、新しい闘いを始めることを決めた。

"DROPOUT TV ON LINE"(ドロップアウトティービー・オンライン)

かつて「新宿路上TV」を作ったグループの名前を冠して、新たにスタートする動画配信。現在その取材を進めつつ、仲間を募って準備中。すでに行く先々で同じ考えの人たちに出会い、共感の輪が広がりつつある。血沸き肉踊る新プロジェクト。その詳細については、後日また報告したい。